会計士の肖像
株式会社船井財産コンサルタンツ
代表取締役社長蓮見 正純
慶應義塾大学商学部に合格し、上京。「東京で暮らすのは4年間だけ」という親との約束は、はなから守る気はなかった。さらなる都会生活は蓮見に心地良く、バスケット同好会やマージャンなどを通じて十分にキャンパスライフを楽しんだ。「得がたい友人もでき、最高でした」。公認会計士試験に向けて勉強を始めたのは、2年生になってからである。実のところ、それは消去法で選んだ道だったらしい。
会計士という職業を意識したのは、高校3年の時です。将来を考え始めた頃、親父から「サラリーマンはやめておけ」と言われていたので、資格を取って自分でできる仕事を調べたのです。一級建築士になって家を建てたいと考えた時期もありましたが、不器用だから単純に無理。教科として国語と理科がダメだったから、弁護士や医者は圏外。得意だった数学を生かそうと思ったら、消去法で会計士かなと。志のない話(笑)。ちなみに、親父が会社勤めに反対した理由は、組織という枠組みがあると、自分の考えや意見が閉塞されるから。いい教育を目指し、親父は学校で積極的に発言していたんですけど、なかなか意のままにならなくてジレンマがあったようです。
大学2年の頃から簿記の勉強を始めたものの、バスケットもやりながらで、本気で取り組んでいたわけじゃなかった。そんな甘い状態で試験に受かるはずはないし、子供の頃に言われた「人の3倍やらないと人並みになれない」というトラウマが蘇ったりして、「デキが悪いと本当につらいよなぁ」と思いながら試験勉強していました。
在学中のチャレンジは失敗。さすがにまずいと、ストイックになって勉強したのは大学卒業後の2年間です。結局合格したのは82年、4回目の受験でした。実は、この時も受かると思っていなかったんですよ。試験1日目、ショックで席から立ち上がれないほどできなくて……帰宅してからも眠れない。受験をやめたい気分でしたが、それでも朝の4時、「今日の準備だけでもしておこう」と問題集を開いて臨んだ2日目。驚いたことに、その時に見た問題がそのまま出たのです。世の中、こんなこともあるのかと不思議でした。
まるで天の采配のごとく、蓮見は会計士としての一歩を踏み出したのである。27歳になる83年、青山監査法人に入所。蓮見にとっては、憧れの事務所だ。「監査論」を勉強した際、業界の監査手続きの確立に重要な役割を果たしたプライスウォーターハウス(以下PW)に、“一流”を感じていたからだ。ここから蓮見は、あらゆる経験や学びを体にしみ込ませていく。
最初の仕事は、書類の届け役。それでも嬉しくて、届け先と名刺交換してきちゃって、戻ってから「バカじゃないの」と冷やかされたのを覚えています(笑)。監査業務は、まさに勉強した監査論どおりに行われていて、その素晴らしいプログラムのもとで業務に就けるのは誇りでした。最初の頃は、先輩に比べれば仕事も時間がかかるし、僕は遅まきのスタートだったから頑張らなきゃと思って、いつも家に仕事を持ち帰っていたのです。すると、ある時から「蓮見は要領がいい」という評判になって。違うんですけどね。むしろ僕は、この手続きがなぜ必要なのか。じっくり考えないとわからなかったし、納得できないと気持ち悪くて。
この「なぜ?」はとても大切で、それを教えてくれたのは、PWのシニアパートナーです。僕が担当企業のキャッシュフロー計算書を作成していた時、その大先輩が「この会社の経済環境で、なぜ数字がこんな動きをするの?」と聞くんですよ。そんなこと言われても、昨年と同じように仕訳を切ってるわけで、僕には答えられない。企業の担当者に聞くと、前年とは勘定科目を変えていて、同じ仕訳では計算書が違ってくることが発覚。先方も「間違っていました」と。そのパートナー、いつもは居眠りしているような人なのにすごいなって。それから、わずかな変化にも疑問を持ち、「なぜ?」を繰り返し自問自答するようになり、仕事が格段に面白くなりました。一流の監査人になるぞ、そう思っていた時代です。
株式会社船井財産コンサルタンツ代表取締役社長蓮見 正純