熱き会計人の転機
公益社団法人日本プロサッカーリーグ
理事 公認会計士米田 惠美
公認会計士を志した時期ときっかけを教えてください。
米田女性の社会進出が難しい環境下で、女性が働きやすい社会にするためにはどうしたらいいか。そう考えていた高校2年の時、経営学の授業のゲストに会計士の先生が来られました。具体的に自分が何をしたいか、何ができるかまでは見えていませんでしたが、お金のことがわかれば社会の仕組みがわかるかもしれない、また、プロとして資格を持ったほうがキャリアの選択肢が広がりそうだと思い会計士を目指すことを決めました。
20歳で公認会計士の試験に合格。就職したのは、新日本監査法人(当時)でした。
米田国内監査部での監査業務で民間企業とパブリックセクターの両方を見ることができたのは、とてもいい経験になりました。その後、IFRSの導入や社内の風土改革、今でいう組織開発のプロジェクトにも携わりました。今、組織開発にかかわっているのはその頃の経験がベースになっています。社会を良くしたいと思っている人は多くいるのに、何から始めていいかわからないというのが今の社会の現状だと思います。組織も同じ。「こうなったらいいのに」と思いながら自分にはその権限がない、経営者の仕事だというマインドを皆が持っている。だったら、社会を変える前に組織を変えてみようと考え始めたのが、この頃です。
結果的にその後、人事や組織開発を中心とした仕事で、独立を果たします。
米田新日本で組織改革を進める過程で突き当たったのが人の問題でした。人のマインドが変わらない限り何も変わらないと気がつき、人材の仕事がしたいと思ったんです。それに「社会に貢献したい」と言っている割には、現場を知らないままでした。フィールドワークをする余地をつくるために、まずは自由な身になろうと。独立後は、心理学や社会保障の仕組みを理解すべく保育士資格をとり、保育園の監査を引き受けたり、在宅診療所を立ち上げたり。その過程で地域の現場をフィールドワーク。制度や数字と現場、あるいは抽象と具体を行き来することで物事の本質が見えてくるということがよくわかりました。
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公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事 公認会計士米田 惠美
公益社団法人日本プロサッカーリーグチェアマン
彼女には二足のわらじを履いてもらっているようなものです。会計士としての経験を踏まえた経営改革の領域と、彼女のライフワークとしているより良い社会をつくるための活動。この両面でアサインをしました。この組織にはスポーツのプロもいれば事業のプロもいる。高度な少数精鋭のプロたちですが、裏を返せば“タコツボ化”した縦割りの組織になりがちです。そこで事業や組織のあり方を改善し、社会に開かれたイノベーティブな風土にしたいというのが私からの要請でした。当然、苦労は多いと思います。サッカー以外の業界から30代の女性理事がやってきた。反発もあったかもしれません。でも彼女はサッカー界が良くなるということを信じて、一つひとつかたちにしています。そんな彼女の能力に、今は皆が信頼を寄せ始めているところです。