The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
メットライフアリコ生命保険株式会社
執行役 専務 最高財務責任者大塚 裕
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介する本連載の10回目にご登場願ったのは、メットライフアリコ生命保険の大塚裕氏である。会計士試験合格後、就職先として日本の大手監査法人ではなく外資系監査法人を選択。ヘッドハンティングで外資系通信機器メーカーに転職して以来、外資関連ばかり5社を渡り歩く。そんな大塚氏の“キャリアストーリー”を聞いた。
大塚氏の実家は、「平たく言うと水道屋さん」を営んでいたそうだ。
「建設会社で管工事の施工管理をしていた父が、施工管理技士の資格を取って独立したのです。そんな背景もあって、子供の頃から『将来は資格を取れ』と、刷り込まれて育ちました」
高校時代、大学受験向け通信教育の資料で、世の中に「公認会計士」という職業があることを初めて知る。
「監査という極めて専門的な仕事を通じて企業活動をサポートするという説明があって、とにかくカッコよく見えた(笑)。よし、資格はこれにしよう、と商学部への進学を決めました」
試験勉強を始めたのは、大学2年。「数字を扱うのが性に合っていた」大塚氏は大学を卒業した1986年秋、二次試験に合格。学んだ専門学校に頼まれ、1年間「原価計算」の講師を務め、翌87年に当時の青山監査法人(現あらた監査法人)に入所した。
同法人は、プライス・ウォーターハウス(PW、現プライスウォーターハウスクーパース)の日本事務所をベースに設立された監査法人。実は大塚氏、「監査法人は外資系」と決めていた。
「当時、国内の大手監査法人は縦割り組織で、つく先生によって将来が決まるようなところが受験生にも見えたんです。それは嫌だなあと思うと、選択肢は外資系しかありませんでした」
入所後は日本の大手電機メーカーや、外資系輸入商社などを担当した。
「監査の仕事は面白かったです。20代の新人が、大手メーカーの工場長さんと面と向かって話をする。こんな経験は、ほかの仕事ではできません。やりがいと同時に責任も感じました。入社3年目ぐらいに初めて主査の立場で仕事をした時には、緊張で夜ほとんど眠れず、2週間で5キロ痩せた(笑)」
高校時代の夢をかなえ、精力的に仕事をこなす日々――。ところが三次試験を終え、晴れて公認会計士となり、入所4年ほど経った頃、「仕事に飽きてしまった」自分に気づく。
「仕事に新鮮味が感じられなくなって、ちょっと一休みしたくなった。当時は今と違い会計士は売り手市場でしたから、仮に辞めてもすぐに復帰できる、という甘い考えもありました(笑)」
大塚氏は、“休職”の道を選ぶ。
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メットライフアリコ生命保険株式会社執行役 専務 最高財務責任者大塚 裕
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