The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
ミュージックセキュリティーズ株式会社
取締役管理部長讃岐 邦正
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介していく本連載8回目にご登場願ったのは、ミュージックセキュリティーズの讃岐邦正氏。念願の公認会計士二次試験合格を果たして入所した監査法人に、1年で“辞表”を提出。様々な職業を経験した後、独自の証券化ビジネスで急成長したベンチャーへ。そんな讃岐氏の“キャリアストーリー”を聞いた。
「振り返れば、ほんとにいろんなことをやってきた、という感じです」
インタビューの冒頭、讃岐氏が口にした、36歳の若さにはちょっと似つかわしくない言葉の意味はおいおい理解いただくとして、会計士を志したきっかけから語ってもらおう。
「父の同級生に、大きな会社の経営者がいました。家族ぐるみのお付き合いをしており、高級車を数え切れないほど持っている。大学1年の時、『どんな仕事をしたら、こんなに車が買えるようになれますか?』とまあ、“素直な”質問をしてみたわけです。そうすると『公認会計士がいいんじゃないか。うちにもよく来るけど、やりようによってはかなり稼げそうだよ』と」
もともと「普通のサラリーマンではなく、何か独立して仕事がしたい」と、大学も立教の経済学部経営学科に進んでいた彼は、そのひとことで会計士という資格に興味を覚えた。だがさっそく調べてみると、そうは言ってもかなりの難関であることがわかる。
「友人に相談しても10人が10人『やめておけ』と。『早稲田や慶応の学生でも受からずに、中にはそれで将来を誤る人間もいる』と脅されました(笑)」
それでもあきらめきれずにいた彼の耳に、あにはからんや「大学の1年先輩が3年生にして一発合格した」との報が届く。話を聞けば「確かに大変だけど、会計に興味があって、勉強に向き合える環境さえあればなんとかなる」と、今度は大いに励まされることに。我が意を得た讃岐氏は、すぐに会計士試験へのチャレンジを決断、専門学校に通い、勉強漬けの日々をすごす。
「大学の講義では簿記が必修なんですが、けっこうつまずく人が多いんです。でも僕は面白く感じた。会計には適性があったのかもしれません」
附属の中学、高校、そして大学とエスカレーター式に進学し、「勉強することに余力があった」ことも幸いしたのか、大学を卒業した1998年の秋、公認会計士二次試験に見事合格する。そして太田昭和監査法人(現新日本有限責任監査法人)に入所。友人たちの予想も裏切り、所期の目的を達成したのだ、「半ば天狗になっていた」のも無理からぬところ。だが“夢”から覚めるのも早かった。
「入所して2、3カ月たった頃には、こんなはずでは、と思うようになっていました。例えば監査に行くと、煙たがられるわけですね。『今忙しいんだから』なんて、露骨に言われることもありました。一所懸命やっているのに、果たして顧客に貢献できているのかも、よくわからなくなって」
なんと讃岐氏は、たった1年で監査法人を辞めてしまう。再就職先は、彼が刻苦勉励した専門学校、TAC。講師として再出発することにしたのだ。
勤務していた監査法人には、資格取得のために非常勤として残してもらい実務経験を積むという“ずうずうしいお願い”をして。
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ミュージックセキュリティーズ株式会社取締役管理部長讃岐 邦正
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