The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社BTM
取締役兼CFO 管理事業推進本部 本部長懸川 高幸
全国でITエンジニアを採用・教育し、地方DXを推進している株式会社BTM。2022年には東証グロースへの上場を果たしている。現在、同社のCFOを務めるのは、現有限責任あずさ監査法人出身の懸川高幸氏。会計のみならず、MBA取得による経営の知識・知見を武器に、複数の事業会社で企業再生やIPOにかかわってきた。
大学2年次、一般事務のアルバイトをしていた時だ。そこにいた社員から「中途半端な就職活動をすると中途半端な人生になる」と言われたのが心に残った。経済学部だった懸川氏は、最難関資格の公認会計士を目指すことに。
「想像以上に苦労しました。高校・大学ともに指定校推薦で進学していたので、受験勉強の経験がほぼなくて。試験への対応がうまくできず、最初の受験は勉強のしすぎでノイローゼになり、不合格。卒業後に資格浪人をして、なんとか合格することができました」
2008年にあずさ監査法人(当時)に入所すると、IPOを専門とする事業部に所属した。とはいえリーマンショック直後のことでIPO案件は少なく、上場企業の会計監査、内部統制監査などが業務の中心だった。
「振り返って思うのは、監査法人はプロフェッショナルの集団だということです。努力を努力と思わず続けることができ、成果物の質も高い。ところが私は不器用なタイプ。どこか学生気分も抜けておらず、入所した直後から上司に叱られっぱなしでした。でも『プロフェッショナルとは何か』を肌で感じられた経験は大きかったです。たとえ自分が半人前でも〝プロであらねば〟という意識が芽生えました」
転職を意識したのは入所して4年目だ。一とおりの業務を学び終わり、同期たちも転職や独立を考え始めていた。一般事務のバイトをしていた頃から「企業の売り上げに貢献したい」気持ちが強かったという懸川氏。リーマンショック後に業績を悪化させている担当顧客を見て、その思いはより募った。転職先に選んだのは、社員50人、売上規模40億円の事業会社だった。
「それほど大きくはない会社で、管理業務全般を経験したかったんです。一緒に働く〝人〟も大切でした。監査法人ではプロジェクトごとに異なるメンバーと働きましたが、事業会社では毎日同じ人と顔を合わせることになります。面接官が『一緒に働きたい』と思える人柄だったことも決め手でした」
入社後は、経理、財務、人事、経営計画と、希望どおり管理部門業務を幅広く経験。「CFO業務の下積みができた」と振り返る。
一方で、会計以外の知識の不足も痛感した。入社時は赤字。業務改善をするために財務分析をしたが、「ビジネスの実態がわからなかった」懸川氏は、具体的な改善提案ができなかった。そこでヒト・モノ・カネの総合的な経営知識を学ぶためにグロービス大学院に通い、MBAを取得。学んだことを業務に持ち込んだ。
「大学院では100社以上のビジネスモデルを分析しました。優秀な方なら仕事をとおして経営の知識を身につけられるのでしょうが、私はやはり不器用なので(笑)。足りないものを地道にインプットし、地道にアウトプットする。私のキャリアはその連続です」
営業赤字を2年で黒字化に転換させると、事業の再生は一段落。懸川氏が次に挑戦したのは、民事再生中だったスカイマークの再建とIPOだ。
「当時のスカイマークは倒産直後で、会計人材がいない状態。自分が活躍できるイメージが湧きました。また、面接官の方の熱量が高く、どんな業務を期待されているのかも明確でした。『ぜひ一緒に働きたい。ここならきっと活躍できる』と思い、転職を決めました」
スカイマークでの経験は「すべて刺激的だった」と語る懸川氏。大企業らしくオペレーションの一つひとつが完成されていて、投資ファンドからの要求水準も高い。懸川氏は経理財務を担当しながら、中期経営計画の策定や上場準備業務に従事。事業の再生も、再上場に向かうプロセスも順調だった。ところが、東証の審査に入ったタイミングでコロナ禍が到来。スカイマークの業績は急降下し、IPOは延期に。
「残念でしたが、私自身のIPO業務はほぼ終わっていました。そんな折に、友人経由で転職の話をいくつかいただきました。そのうちの一社が、今勤めているBTMです」
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