The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
ファーストアカウンティング株式会社
取締役CFO津村 陽介
AIを活用して経理分野に特化したクラウドサービスを展開するファーストアカウンティング株式会社。主なターゲットはエンタープライズ企業の経理部門だ。同社の上場を牽引したのがCFOの津村陽介氏だ。47歳で、トーマツのパートナーから事業会社へ転身。どんな思いがあったのか?
小3の頃に家業が倒産し、両親の苦労を目の当たりにした。「お金で困りたくない、手に職をつけたい」との思いが早くに芽生えている。一度は医者を志すも「適性が違う」と別の道を模索した。高1の時、父親との会話のなかで、公認会計士の存在を知った。
「このときピンとくるものがあったんです。聞けば、父は家業を継ぐ前に税理士を目指していたそうで、父の夢を継ぎたい、父を超えたいという気持ちがあったのかもしれません。いつか一緒に会計事務所ができたらいいね、なんて話をした記憶もあります」
第二次試験に合格したのは1996年。早稲田大学卒業後に地元広島へ戻り、1年間を勉強期間に充てた。
「大学在学中は東京でつい遊んでしまい合格できませんでした(笑)。広島に戻ったのは大都会の〝誘惑〟を避けるためですが、就職のしやすさを考えてでもあります。当時は監査法人の求人が減り、特に東京は厳しかった。かつ周囲に聞くと、地方は仕事を早く任されるから成長スピードが早いという話もあって、数年間地方に勤めてから東京に出るという選択をしました」
就職したのはトーマツの広島事務所。それから約6年、監査を中心にIPOや財務調査などの経験を積んだ。「早く仕事を任せてもらえる」との期待どおり、4年目には主査となった。
「『この仕事は天職だ』と思うぐらい仕事が楽しかったですね。気力体力は充実し、知識経験が身について、クライアントとの関係も良好。いずれパートナーになり、監査法人で定年まで勤め上げようと考えていました」
2002年に東京事務所に転籍すると、トータルサービス(TS)に配属された。トーマツのTSといえばIPO支援の花形部署として知られる。しかし、当時は企業の倒産が多く、企業再生のビジネスが花開きつつあった。
「〝トータルサービス〟という名のとおり、景気がいい時はIPO、悪い時は企業再生という感じで、様々な仕事を担当しました。また〝ベンチャーサポート〟といって、IPOよりさらにアーリーステージにある企業を支援する仕事も。言葉を選ばず言うなら〝ゆりかごから墓場まで〟企業のライフサイクルすべてに立ち会うことができたと思っています」
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