The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社マックアース
取締役CFO村瀬 功
余裕で受かると思っていた大手監査法人の採用面接で、不合格――。もしそうなっていなかったら、村瀬功氏のキャリアは、かなり違ったものになっていたかもしれない。中堅の監査法人に身を置いた後、「より事業に近いところへ」「会社を動かすポジションに」という思いに忠実に、コンサルティング会社へ、そして事業再生&地域おこしのベンチャーへ。ただし、CFOとなった今も、「これで成長ストップ」とは、露ほども思っていない。
1980年、富山市で生まれた村瀬氏は、父親の転勤により10歳の時に広島県大竹市に引っ越す。この頃の夢は「社長になりたい」だった。
「組織の上に立ってみんなを動かすのはカッコいいな、と。高校時代、東大に行こうと決めたのも、何かを勉強したいとかいうのではなくて、とにかく〝トップ〞だから。まあ、そういう単純な性格は、今も変わっていないのかもしれません(笑)」
実は、高校時代には公認会計士になろうと決めていたのだという。
「父に、『こういう資格もあるぞ』と言われて、なんとなくいいなと思ったんですよ。この資格を持てば、いろいろ幅広い仕事ができて、独立もできそうだ。そんなイメージでした」
人生の目標を持ち、晴れて東大生になった村瀬氏だったが、公認会計士に向かって一直線、とはいかなかった。専門学校に通って資格試験の勉強を始めたものの、1年で〝挫折〞する。
「中学の頃からテニスをやっていたのですけど、そっちが楽しくて。数あるサークルの中でも、所属したのは体育会に近いレベルのところで、関東大会の団体戦で優勝したこともあるんですよ。二兎を追うことができない性分で、試験勉強はいったん中断して、テニスに集中することにしたのです」
「授業にも出ないで」プレーに打ち込む日々は、3年の夏まで続いた。そしてそこからは、頭も生活スタイルも180度切り換え、「大学受験以上に真剣な」勉強を始める。
「朝から夜の9時、10時ぐらいまで専門学校にいましたね。受験勉強仲間というのもあまりいなくて、一日中誰ともしゃべらなかったなんていう日も、けっこうありました」
大学4年での公認会計士試験挑戦は、短答式試験は受かったものの、論文式試験で失敗。合格したのは、大学を卒業した2003年だった。しかし、この〝1年の遅れ〞が、その後の人生に大きく影響することになる。
「前年は、短答が受かった時点で就職活動をしたら、受けた大手監査法人のすべてから内定をもらえました。なんだ、就職は楽勝じゃないか、と。ところが、翌年余裕綽々で大手の面接に行ったら、見事に不合格で。環境は一転して、買い手市場になっていたのです。一人黙々と勉強していた私は、そんなことも知らなかった。あの時は、さすがに焦りました」
懸命な就活の末、入所したのは、当時業界10番手くらいだった優成監査法人である。
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株式会社マックアース取締役CFO村瀬 功