The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社エスクロー・エージェント・ジャパン
取締役 執行役員 管理本部長太田 昌景
監査法人でIPO支援などに携わった後、投資会社に転職。会計士として、今や珍しくはない選択だろう。しかしそこから“IPOを審査する側”のジャスダック証券取引所、さらには金融庁証券取引等監視委員会事務局へとなると、話は別だ。異色のキャリアを積んだ太田昌景氏は今、新たな不動産ビジネスの構築を目指すエスクロー・エージェント・ジャパン(EAJ)の取締役を務める。彼が志向する理想のCFO像とは、どんなものなのか。
1975年、三重県に生まれた太田氏は、父親の仕事の関係で小学校4年までを東京で過ごす。再び生まれ故郷に戻り、高校卒業後に選んだ進学先は、名古屋大学農学部応用生物科学科(当時)だった。「将来必ず食糧危機の時代が来る。迷っているなら農業関係はどうか」という父親のアドバイスに背中を押されたものだったのだが、2年で中央大学法学部に“転校”してしまう。農学部から法学部へ、傍から見ると180度の転身である。だが本人の語る理由は、いたってシンプルだ。
「理系の研究をコツコツやるのもいいけれど、やっぱり大勢の人と一緒に何かをやっていく仕事のほうが楽しいのかな、と思ったんですよ。法律の勉強をして弁護士とか公務員とかになって、人の役に立つのもいいな、と」
しかし最終的に選んだ資格は、公認会計士だった。
「国家公務員Ⅰ種資格の取得を目指すサークルに入って勉強していたんですが、選択肢として国税の専門官があったんですね。“マルサ”もかっこいいな、と簿記の勉強を始めたら、もともと理系だったこともあり、抵抗なく頭に入ってきた。で、簿記が役立つ仕事は何かと考えるうちに、公認会計士という資格のことを知ったのです」
こうしてターゲットが定まったのは、3年生になってから。その年の秋から専門学校に通って本格的な勉強を開始し、大学を卒業した2000年の10月に見事合格を果たす。
就職先に選んだのは、朝日監査法人(現有限責任あずさ監査法人)だった。そこでは主に、様々な業種の上場準備企業のサポートに従事することに。
「どの会社にも、IPOという明確なゴールがあるのがよかったですね。申請直前に、会社の人たちと徹夜仕事をしたりするのも楽しくて。目標がないと体が動きにくい僕にとっては(笑)、大企業の監査よりも水が合ったように感じました。結局6社ほどの上場にかかわることができ、クライアントからは非常に感謝してもらいました」
ところがようやく脂が乗り始めた入社6年目、太田氏はそこを退職する。
「会計士には、法人に骨を埋めるつもりでパートナーを目指す人と、シニア、マネジャークラスのキャリアを積んだら、次の新たな道を探すという人がいる。自分は後者でした。そこまで培ったスキルと経験を基に、監査以外のことをやりたくなったんですよ」
自ら再就職先に選んだのは、野村證券系の投資会社、ユニファイド・パートナーズである
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株式会社エスクロー・エージェント・ジャパン取締役 執行役員 管理本部長太田 昌景