- vol.75
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「変革の時代だからこそ、監査人としての気概、泥臭さみたいなものは、改めて重要だと思う」
公認会計士浜田康事務所
浜田 康
会計士の肖像
谷公認会計士事務所
代表 僧職会計士谷 慈義
「明治大学大学院特別招聘教授」「浄土宗僧侶」「公認会計士」。現在の谷慈義(たに・しげよし)の名刺には、この3つの肩書が並ぶ。何とも珍しい……と思っているところに、谷は「僧職会計士なんて、僕ぐらいでしょう」と、人懐っこい笑顔を見せる。仏道に精進するようになったのは還暦を過ぎてからだが、会計士としての谷は、40年にわたり、事業再建の現場を踏んできたプロフェッショナルだ。経営難にあえぐ企業約50社をV字回復させたその手腕は、“谷マジック”と称される。貫いてきたのは「心の経営」。顧客、社員、株主、取引先といった、企業を取り巻くステークホルダーと一体になり、常に「経営のあるべき姿」を追求してきた。ビジネス界で培った数多の経験と、学び実践しつつある仏教の教えを融合させ、谷は、今日も精力的に“救済の道”を走り続けている。
僕は、父親の顔を写真でしか知らないんです。生まれる2カ月前、東京大空襲で戦災死したのですが、聞いた話では、町会長をしていた親父は、空襲の下、地元の人たちを避難させている途中で死んだそうです。終戦後の大変な時代でしょ。親父を亡くして経済的基盤もないなか、タバコ店と洋品店を切り盛りしながら、僕らきょうだいを一人で育て上げたお袋はすごいですよ。幼いうちから店を手伝うのが日課で、店を開ける前には向こう三軒両隣、毎日竹ぼうきで掃除。それから雑巾がけをし、商品を整える。小学生になった頃には、近所の問屋街を自転車で走り回っていました。7歳にして「仕入れ部長」、これが最初の肩書(笑)。ずっと商売に触れてきたことが、僕の“実務家”としての原点ですね。
明治生まれのお袋は厳しい人で、ピシッと筋が通っているというか……。「人にできないことはない」というのが根本の考え方で、できないのは「やらないから」。そして、「すべて一番になりなさい」と。だから僕は、何でも懸命に取り組んできました。勉強はもちろん野球、柔道、珠算、そしてベーゴマも(笑)。いわゆるガキ大将です。今思えば、人と一番を争うことは、実は相手に執(とら)われない“空”の自分を確立する方便なんですよね。ただ、苦労しているお袋を見て育ったおかげで、人間、やれば何でもできるという感覚が身についたことは、人生において、間違いなくプラスになっています。
学業に長けた谷は、後に弁護士となる兄が学んだ明治大学付属明治中学校を受験し、次いで同高校へと順当に進学する。中・高時代は一貫してトップクラスの成績を維持しつつ、生徒会やクラブ活動にも精を出す“忙しい”学生生活。やるとなったら即行動に移す、そして、新たな発見を好む谷のバイタリティは、この頃から発揮されていた。
酉年だからなのか、つっつき探しをするんですよ。鳥がくちばしをツンツンしながら、エサを探すあれ。要するに落ち着きがなくて、何にでも手を出しちゃう(笑)。
中学では「商業研究会」に入って、複式簿記を初めて学術的に説明したイタリアの数学者、ルカ・パチョーリのことを勉強し、一方では生徒会本部で会計を担当していました。校内のいろんなクラブを取りまとめて予算を組むとか、学校と交渉するとか。特段、数字に強かったわけではないんだけど、図らずも、会計らしきことをやっていたんですね。あとは、軟式テニス部。変わらず店の手伝いもしていたから、とにかく忙しくて。洋服や学業道具は兄貴のお下がりばっかりだったけれど、何でも好きにやらせてくれたお袋には、本当に感謝しています。
高校に上ってからは、マンドリンクラブでキャプテンを務めていました。きれいな音色に惹かれて始めたんですけど、マンドリンの演奏は、今も休日の楽しみのひとつ。音楽には言葉が必要ないから、なんびとでも共有できる。それが魅力だし、実は、会社経営と共通点が多いのです。基本は人々のハーモニーで、一人だけ巧くても体を成さない。そして、指揮者が情熱を持って指揮しないと、演奏者や観客はついてきません。それを「社長」に置き換えても、同じことが言えるわけです。合奏を通じて体得したことは、今の仕事にずいぶん生きているように思います。
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谷公認会計士事務所代表 僧職会計士谷 慈義
[主な役職]
明治大学校友会本部監査委員、
連合駿台会副会長、
公認会計士会副会長、
商学部三上会会長など。
vol.18の目次一覧 |
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