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「変革の時代だからこそ、監査人としての気概、泥臭さみたいなものは、改めて重要だと思う」
公認会計士浜田康事務所
浜田 康
会計士の肖像
株式会社船井財産コンサルタンツ
代表取締役社長蓮見 正純
国内最大の独立系財産・財務コンサルティング会社「船井財産コンサルタンツ」代表。蓮見正純が現職に就いたのは2008年。監査法人勤務から始まり、証券会社への出向、会計事務所への転職、そして独立という各時代を経て、これが5つ目のステージとなる。いたずらな野心を持たず、急がず、一つ一つの体認を積み上げての今日。志すは、同社を「個人の財産と企業価値の保全を通じて、日本経済を支える会社にする」こと。これからが本番と士気を高める蓮見だが、聞けば、「子供の頃はとにかく目立ちたくなかった」というから意外である。
生まれ育ったのは、岐阜の穂積という町です。長良川と揖斐川に挟まれた輪中地帯で、ちょっとでも水かさが上がると、すぐ床下浸水ですよ。小学校に上がった頃、雨のひどい日に、川が増水していくのが面白くてずっと見ていたら、川に落ちちゃいまして。地元の人が飛び込んで助けてくれなかったら、危なかった。自分が溺れている様は鮮明に覚えていて、今でも「ブクブク」っていう音は苦手。ただ、床下浸水は慣れっこだったので、畳を上げるのは得意です(笑)。
小さな町でしたから、小・中学校とおして、学年に1、2クラスしかないわけです。どこの家の子とか成績の順位とか、みんな知ってる。そんな中、僕は背が高いし、わんぱくだったから何をやっても目立つんですよ。それがイヤでね。一人っ子だから、親の期待値も高い。「ちゃんとしなくちゃ」的なプレッシャーを常に感じていました。仮にいい成績を取っても、嬉しくない。そこに期待がかかるし、「ねばならない」というマストな感覚が肌に合わない、そんな子供でした。
デキが悪いなぁと、自分では思っていたんですよ。決定的だったのは、小学生の時に受けた知能テスト。ひどく点数が悪かった。そもそも、制限時間内に半分しか回答できなかったんですから、どんくさい子です(笑)。その後、先生に「お前は頭が悪いから、人の3倍頑張らないと人並みにはなれないよ」と言われた。強烈だなぁ、親には間違っても言えないなぁと。これは、すごいトラウマになりました。いたずらばっかりするから、僕はその先生から嫌われていたのかもしれませんが。
一人っ子の蓮見は、大人に囲まれて育っている。両親だけでなく、家には父方の祖父、母方の祖母とその妹が同居していた。格段厳しく育てられたわけではないが、たくさんの大人の目が、蓮見にプレッシャーを与え続けたのかもしれない。「わんぱくな一方、いろんなことを気にしながら生きていた」という蓮見だが、生徒数が多い大垣市の高校に進学してからは、のびのびとした学生時代を送った。
僕にとっては少々複雑な家庭環境でしたが、中学校の教師だった親父は、双方の親と、その姉妹も引き取って面倒を見ていたのですから、やさしくて本当にすごい人ですよ。今でも、同窓会で旅行に出かけたりしています。教え子たちが親父を慕って、よく世話をしてくれる。それも人徳でしょうね。
大垣北高校に進学して一番良かったのは、目立たなくなったこと。背の高いヤツはいくらでもいるし(笑)、学年で400人ぐらいの生徒数だったから“紛れ込んだ”感じ。わりに進学校で、テストでは僕はちょうど真ん中、200番ぐらいになる。これが心地良くて(笑)。目立たないし、成績へのプレッシャーもなく、部活でバスケをやりながらのびのびやっていました。
そんな調子だから、現役の大学受験は予想どおりダメで、予備校に行くことになりました。家を出て名古屋に。高校の先生が、「外を見るためにも一人で出したほうがいい」と援護してくれたおかげで、親の了承が取れました。僕にしてみれば「やったね」(笑)。名古屋ならさらに紛れ込める、映画観られる、パチンコできる……そんな感覚ですよ。今思えば、この頃はすべてが中途半端でした。バスケだって本気で練習していれば県大会で勝てたかもしれない。一方で、勉強もそれなりにしとかなきゃと思ってた。発奮できるものが見つからず、自分の時間や気持ちをうまくコントロールできない、消化不良のような感じでしたね。
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株式会社船井財産コンサルタンツ代表取締役社長蓮見 正純