The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社エボラブルアジア
取締役 CFO柴田 裕亮
学生時代「会計士の仕事」に出合い刺激を受けた柴田裕亮氏は、自らその道に進むことを決意し、在学中に公認会計士第二次試験合格を果たす。監査法人では「IPOのプロ」として、担当した全企業の上場に寄与。その手腕を買われCFOとして迎えられたエボラブルアジアでも、やや行き詰っていたIPOを10カ月で達成に導く。「どんなことにも答えがある」。幾多の案件をサポートしリードした達人は、そんなシンプルな信念の持ち主だった。
1982年、柴田氏は神奈川県鎌倉市で誕生する。「周りには、挫折なき人生のように思われている」と笑うが、12歳の時には中学受験に失敗するという痛い経験も。しかし、悔しさをバネに中学、高校時代は勉強に明け暮れたかいあって、東京大学経済学部へと進学。“東大経済”を目指したのには、彼なりの理由があった。
「高校時代にバブル崩壊後の“失われた10年”を目の当たりにしました。そこで、多くの人が不幸になったのは“情報格差”のせいではないか、という問題意識を持ったのです。エリート層が、きちんとした情報を社会に発信する仕組みが圧倒的に弱く、被害が拡大した。ならば自分はその部分でなにがしかの貢献がしたいと大真面目で考えていました」
大学では、学生がビジネスモデルを競うコンテストを運営するサークルに所属するが、ここで後の人生に大きく影響する2つの出来事に遭遇する。1つはそこに若き日の同社社長、吉村英毅氏が在籍していたこと。もう1つは会計士という職業に出合ったことだ。
「学生が提案するプランをジャッジしたりアドバイスをしたりしてもらうために、専門家を頼んでいたのです。それまでまったく知らない世界だったのですが、実現可能性を理路整然と数字で提示したりするのは驚きでしたね」「大いに刺激を受けた」ことで、会計士資格取得が目標に定まった柴田氏は、大学1年の冬には専門学校に通い始める。「勉強は厳しかった」と話すものの、なんと大学3年生にして合格。当時の最年少記録である。
大学卒業後、2005年に就職したのは、監査法人トーマツのトータルサービス(TS)3部だった。
「いろんな意味で向上心の強い方々の集団だと聞いていたので、トーマツというよりTSに行きたかったんですよ。入ってみると、噂どおり自由奔放な雰囲気で、『仕事を教えてやる』ではなくて、『とりあえずやってみろ』というカルチャー。当時すごく生意気だった僕には、水が合いました(笑)。現場では監査だけでなく、周辺の例えば管理体制構築とか新業務立ち上げに向けたサポートだとか、幅広くいろんなことをやりましたね。『会社のよきアドバイザーたれ』という仕事自体にも、とてもやりがいを感じていました」
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株式会社エボラブルアジア取締役 CFO柴田 裕亮