The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社イグニス
取締役CFO山本 彰彦
「人生すべてはポジショニング」。そう持論を述べる山本彰彦氏が、およそ5年在籍した会計監査の世界を離れ、イグニスのCFOに就いたのは、2012年のことだった。以来、約2年で東証マザーズへの上場を果たし、取締役として、日々マネジメントに勤しむ。しかし、彼には「今がベストポジション」という思いはない。さらなる活躍の場を見定めるチャレンジは続く。
山本氏が公認会計士を目指すようになったそもそものきっかけは、高校時代のある出来事にあった。
「バブル崩壊後の不況期だったのですが、親族の一人が、勤めていた会社を急にリストラされまして。雇われて生きるのは嫌だなあ、自分も何か専門的な力を身に付ける必要があるんじゃないか、とその時思ったのです」
とはいえ、会計士の仕事内容をしっかり認識していたわけではない。
「受けていた通信講座の付録冊子に、いろんな職業の紹介が載っていて、興味をひかれたんですよ。でも、高校時代なんて、いいかげんなもの。稼げて、カッコよくて、もてそうで……と、スクリーニングしていったら、医師、弁護士、会計士、税理士が残ったんです(笑)。でも自分は文系だし、理屈も苦手だから、弁護士も無理。となると、残りは二つか、と」
実は最終決断を促したのも、ショッキングな“事件”だった。友人たちと進学を目指していた、地元兵庫の国立大学の受験に一人だけ失敗したのだ。
「みんなに置き去りにされた気分。で、彼らとの差をリセットするためには、より難関といわれる会計士試験に合格するしかないと心に決めたわけです」
神戸商科大学(現兵庫県立大学)商経学部に進んだ山本氏は、1年生の冬から試験勉強に専念。だが、なかなか成果は上がらない。
「ポイントを絞って要領よく勉強しないと、受からない試験なのです。大学受験に失敗するくらいだから、どうもそのあたりは苦手でした」
転機が訪れたのは、大学を卒業した年。3度目の試験に落ちたが、辛うじて論文試験の一つに科目合格した彼は、アシスタント職を募集していた新日本監査法人大阪事務所に入所する。「お金もないし、働きながら資格取得を目指す」と方向転換したのである。
とはいえ、当然勉強時間は削られて、「毎日、夜11時頃まで仕事して、終電までに簿記の問題を一つ解いて帰る」ような生活に。しかし、人間何が幸いするかわからない。
「限られた時間で集中して勉強したら、成績が目に見えて上がったんですよ。ようやく要領を掴んだ感じ。で、翌08年の試験に、なんとか合格することができました」
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株式会社イグニス取締役CFO山本 彰彦