The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
スターフェスティバル株式会社
取締役 最高財務責任者小池 良平
世は空前のグルメブーム。一方で外食産業をめぐる環境は、悪化の一途だ。中食(弁当や食材の配達)をサポートすることによってその現状に風穴を開けるのが、スターフェスティバルのビジネスモデルである。料理大好き、「包丁を握れる会計士」小池良平氏が同社のCFOに就任したのは、とはいえ、偶然の巡り合わせだった。
1978年、東京・江東区で生まれた小池氏は、父親が転勤族だったことで、幼い頃から名古屋、埼玉、仙台と、各地を転々とする。やがて東京に戻り、日大豊山高校に入学。大学も、そのまま日本大学経済学部に進んだ。だが、「当時は、会計士になろうなどという気持ちは全然なくて、簿記の単位も落とすくらい」だったという。
やがて、就職活動の時期を迎えたが、折悪しく世の中は、バブル崩壊後の長引く「就職氷河期」にあった。そこで、「食べていくために、何か手に職を付けていたほうがいい」と思い立つ。
最初に頭に浮かんだのは、税理士資格を取ることだった。
「大学院を出れば、資格試験の科目がある程度免除されると聞いて、ゼミの教授に相談してみました。そうしたら、君の成績では、院は難しい』と言われて(笑)。だったら、税理士よりも難しい公認会計士にチャレンジしてやろう、と考えたんですよ。一発逆転してやる、くらいのノリでしたね。教授には、『それも無理だからやめたほうがいい』と忠告されましたけど(笑)」
決意を固めた小池氏は、「就職せずに、会計士試験の勉強をしたい。3年だけ認めてほしい」と親に申し出た。
「意外とあっさり、『いいんじゃない』と。小さな頃から電卓が好きで、暮れともなると、今年はいくらお年玉をもらえるかな、と皮算用するような子供だったんですよ、僕。そんな姿を見ていたから、案外向いているんじゃないか、と軽く感じたのかもしれません」
とはいえ、“向いていそう”で取得できるほど、甘い資格ではない。
「ゼロからのスタートだったので大学の卒業式の翌日から、出家するくらいの気持ちで勉強しました。朝は6時に起きて、8時には専門学校の机に座り、夜の9時まで。文字どおり休みを返上してやりました」
そのかいあって、2003年に、会計士二次試験(当時)の合格を果たす。
「大学の同級生は、みんな社会に出て働いている。そのことに、負い目や焦りを感じていました。だから、やっと自分も働けるというのが、何よりもうれしかったですね」
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スターフェスティバル株式会社取締役 最高財務責任者小池 良平
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