- vol.75
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「変革の時代だからこそ、監査人としての気概、泥臭さみたいなものは、改めて重要だと思う」
公認会計士浜田康事務所
浜田 康
会計士の肖像
アタックスグループ
代表パートナー林 公一
名古屋に本拠を構えるアタックスグループは、税務のほか経営コンサルティング、人材育成支援などの専門プロ集団を擁し、主としてベンチャー、中堅・中小企業に向け、幅広いサービスを提供している。顧問企業約1200社と聞けば、その実力のほどがわかるはずだ。林公一が入社したのは、1999年。現在はグループ代表社員3人の1人に名を連ね、アタックス・ビジネス・コンサルティングの社長も兼任。そんな林が会計士を志したのは、高校生の時、家族に起こった、ある〝事件〞がきっかけだったという。
父親は小学校の教師、母親は美容師で、自分で店を開いていました。まあ、ごく普通の子供でしたけど、小さな頃から飛行機のパイロットになるのが夢だったんですよ。けっこう本気で、中学の時には、航空大学校に行こうと決めていました。ところが、高校生になって、視力が足りずに受験資格もないことがわかった。ならば、管制官でもと考えたのですが、やはり目がネックになって、その道は断念。当時、レーシック手術なんてなかったですからね。あったら、それを受けてでもチャレンジしていたと思います。
将来に対する目標を失ったことで、理系か文系かの進路選択にも迷いました。数学が得意で英語はダメ、という状況でしたから、順当なら理系でしょう。でも、理系に進んだら、エンジニアとしてどこかの大企業に雇ってもらう、という決まりきった道筋しかイメージできなかった。
そんなある日、母の美容室に税務調査が入って、追徴を食らうという出来事があったんですよ。父は怒って、「こんな横暴はないだろう。お前、税理士にでもなって、こういうのと戦ったらどうだ」と言うわけです。へえ、と思っていろいろ調べて、初めて税理士、公認会計士という仕事を知りました。で、「これだったら得意の数字を使うし、いいじゃないか。どうせなら、より難関の会計士を目指そう」と進路を決めたのです。結果的に、僕は親に導かれてこの道に足を踏み入れたことになります。素直というか、単純というか(笑)。
高3にしてその決意を固めた少年は、「会計に強いゼミのある大学」かつ愛知県外を選択基準に、横浜市立大学商学部に進学する。そして入学するや、専門学校に通い始めるのだが、長続きはしなかった。中学生時代に始めた弓道に、入れ込んだためである。
的に当てるのも外すのも、全部自分の責任。一言でいえば、それが弓道の魅力でしょうか。寸分たがわず同じ方向に同じ射形で射れば、矢は必ず意図したとおりに飛んでいくはずなのです。試されるのは、平常心を保てているのかどうか。スパッと的を射抜けた時には、やっぱり快感です。
加えて大学では、部の副将を務めたこともあり、チームをまとめていかなくてはなりません。そんなこんなで、試験勉強などやっている暇がない(笑)。結局、再び専門学校に通い始めたのは、3年生の大会を終え、部活に区切りをつけてからでした。
卒業は87年ですから、バブルの真っ盛りです。体育会系の副将をやり、名の通った先生のゼミのゼミ幹もやっていましたから、就職先には困らなかった。ただ、「会計士になるんだ」という気持ちには、なぜか揺らぎはなかったですね。一般企業の誘いは全部断って、資格取得に専念しました。
最初のチャレンジは4年生の時で、正直これは〝模試〞ぐらいの気持ち。でも浪人した次の年は、答練でかなりいい点数を取っていたし、自信がありました。にもかかわらず、不合格に。浪人生活を続けるのは、さすがに辛かったですよ。たまに大学の同期に会うと、「俺、最近赤坂以外で寿司食ったことないな」とか言うわけです。その時、僕は1日に使えるのが1000円で、銭湯に行こうかやめようか、真剣に悩むような生活をしていましたから。
当時は、千葉の松戸市にあった中央大学白門会の寮で暮らしていました。朝晩食事がつくのはいいけれど、毎日のように出てくるコロッケが、信じられないくらいおいしくないんです。寮に住み着いている猫たちの前に投げても、プイと横を向いちゃうほど(笑)。そんな環境で、文字通り歯を食いしばって勉強しましたから、合格できた時には、本当に嬉しかったですよ。
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アタックスグループ 代表パートナー林 公一