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Accountant's magazine vol.11

-アカウンタンツマガジン-
2012年04月01日発行

会計士の肖像

「物事を成し得るには、人の力を信じ、情熱を持つこと。共鳴し合う人間が集まれば、世の中は確実に動くのだから」

Takenaka Partners LLC
President&CEO竹中 征夫

会計士の肖像

15歳で渡米。祖国を思うことで確立されたアイデンティティ

M&Aアドバイザリーの草分け的存在であり、日系企業のグローバル化に道筋をつけた開拓者。その名を広く知られる竹中征夫が、業界に、そして日本経済に与えてきた影響は大きい。1965年、ピート・マーウィック・ミッチェル(現KPMG)に日本人として初めて採用され、以来50年近く、アメリカをホームグラウンドに「日本を思いながら」走り抜いてきた。70歳になる現在も、プロフェッショナル集団「Takenaka Partners」を率い、国際舞台で精力的な活動を続けている。

母親に連れられ、心ならずも、父が暮らすアメリカに渡ったのが15歳の時。しかし、この特異な原体験が、竹中の豊かなバックボーンを形成した。それを彩るのは、情熱と活力。今の日本を憂えた竹中の言葉は示唆に富み、聞く者の心を捉える。

アメリカで暮らすようになるまでは、愛知県の豊橋市で育ちました。父は市議会議員を務めたり、果樹園や養鶏場もやっていましたから、まぁそれなりの実力者ではありました。戦前は、祖父の影響でアメリカに渡った経験もあるらしく、英語が話せましたから、進駐軍の通訳なんかもね。だから、もののない時代に、うちにはチョコやガムがたくさんあって、「竹中さんの家はいいわねぇ」なんて言われたものです。

どちらかといえば、私はおとなしい性格だったのですが、人を引っ張って動かすのが好きだったんですよ。果樹園の手伝いとか、親から何か言いつけられると、私は近所の子供たちを集めてきて、分担決めして一緒にやらせちゃう。自分の時間がほしかったから、どうしたら早く済ませられるかを常に考えていたわけです。そうやって好きな漫画や歴史本を読んだり、チャンバラ映画を観る時間をつくってました。勉強した記憶はないですけど、小学校を卒業する時には、皆勤賞やら何やら、あらゆる賞をもらったので、比較的いい子だったんじゃないですかね(笑)。

中学生になってから燃えたのは剣道です。部の顧問だった鈴木一仁さんという先生が実にカッコよくて、教えるのもうまく、県大会優勝まで導いてくれた。忘れられない恩師で、アメリカに渡ってからも、先生が亡くなるまでずっとお付き合いをしていました。通っていた豊岡中学校が50周年を迎えた際も、鈴木先生が「記念に話をしてくれ」と呼んでくれて。で、何がほしいかと聞かれたので、「卒業を迎えられなかった私を“名誉卒業生”にしてください」と頼んだら、校長先生と共に立派な証書を用意してくださった。今も、ロスの事務所に飾ってあるんですよ。

竹中が中学校に上がった頃、父親は家族を残して、再びアメリカに渡っていた。聞けば、祖父の代から始まったことで、チャレンジ精神旺盛なのは系譜なのだろう。そのうち帰ってくると思っていた家族に、「お前たちも来い」と号令がかかったのは、57年のこと。移住した先はユタ州のソルトレイクシティ。55年も前の話だ。日本人などいないような見知らぬ地で、竹中少年は“いやいや”暮らし始めたのである。

カルチャーショックだったのは学校。現地の中学校では、体育の時間にダンスをやるんですよ。アメリカの女子中学生は口紅もつけているし、しかもグラマー(笑)。その状況でダンスしろ?日本にいる時は女性の手も握ったことがないのに、そんなの無理ですよ。笑い話ではなく、これが一番のショックでした。一方ですぐにわかったことは、日本の数学教育のレベルがいかに高いかということ。私は珠算検定1級も取っていたし、数学のテストなんて同級生の半分の時間でできちゃう。スターですよ。ところが、当然のごとく英語ができない。英語の時間になると、ハンデキャップのある子供たち向けの特別クラスに入れられるんです。これがつらかったですねぇ。優越感と劣等感、極端でしたけど、この二つのバランスを保ちながら何とかやれたようなものです。

価値観がしっかり定まらないうちに、まるで違う環境にぶち込まれたわけでしょ。悩んだ時、困った時、人には“杖”が必要なのです。私にとっての杖は、日本でした。アメリカに行ってジャパニーズと呼ばれ、初めて自分が日本人であることを自覚したのです。だからこそ祖国、文化を大切にしてきたし、その杖を使って様々な壁を乗り越えることができたのです。そういう経緯がなければ、私は大国に飲み込まれてアイデンティティを失っていたでしょう。アメリカにいながら日本人であることを誇りに思い、よき日本の心をキープし、一方ではアメリカのいいところを意識して取り込んできた。つまり、私はハイブリッドな人間で、だからこそ今日があると思っています。

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Profile

Takenaka Partners LLC President&CEO 竹中 征夫

Takenaka Partners LLCPresident&CEO竹中 征夫

1942年9月6日
愛知県豊橋市生まれ
1957年9月
アメリカへ転居
1965年6月
ユタ州立大学商学部卒業
ピート・マーウィック・ミッチェル会計事務所(PMM・現KPMG)入所
1967年3月
米国公認会計士試験合格
1973年7月
PMM米国本土初の日系人パートナーに就任
1981年7月
海外進出日本企業担当「ジャパン・プラクティス」統括責任者に就任(PMM筆頭パートナー)
1989年3月
Takenaka Partners LLCを設立

[主な著書]
『企業買収戦略‐M&Aによる新しい企業成長』(ダイヤモンド社)、『アメリカに自分の店をもつ本‐出店と経営のノウハウ』(実務教育出版)、『米国進出 人の集め方、使い方、活かし方‐日本企業の泣き所を克服する人事戦略』(日経BP出版センター)、『伸びる企業 伸ばす戦略‐環太平洋時代に求められる国際ビジネス感覚』(経済界)、『金融のしくみ‐1項目3分それだけでわかる!』(三笠書房)、『対米投資ガイドブック‐会社設立から事業運営の総て』(プレス・インターナショナル)ほか多数

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