The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社串カツ田中
取締役 管理部長坂本 壽男
昨年9月、「大阪名物」を武器に全国に店舗を拡大してきた串カツ田中が、東証マザーズ市場に上場し、話題を集めた。IPOの中心となった坂本壽男氏は、サラリーマン生活を経て公認会計士資格を取得した、一風変わった経歴の持ち主だ。「振り返れば、私は運がよかった」と語るが、それを引き寄せたのには、やはり理由があった。
坂本氏は1976年、長崎県島原市の生まれである。実家は、犬のブリーダーと不動産業を営んでいた。
「島原には大きな会社はなく、サラリーマンがほとんどいないから、そのイメージ自体がなかったんです。自分も将来は何か自営業をやりたい、と漠然と考えていましたね」
高校は、長崎市にある全寮制の男子校へ。「勉強するしかなかった」環境を経て、慶應義塾大学経済学部に進む。東京で一人暮らしが始まると、今度は「抑圧された3年間の反動もあって、大学へはほとんど行かずに、アルバイト先とアパートを往復する生活」に。
「バイトは、家の近くの小さな喫茶店の店長。お金を稼ぐのも目的ですが、仕事にもけっこうハマって。調理も接客も楽しかったし、売上集計なんかも面白かった。店には、自分は持ってないパソコンがあったんですよ。Excelは、その時習得しました」
ただし、当時はまだ〝将来の夢〞は見えなかった。普通に就活を始めたのは、「周りもやっているし、とりあえず」くらいの気持ちだったという。
就職先に選んだのは、産業用ガスの大手、日本酸素(現大陽日酸)だった。〝とりあえず〞とはいえ、就活戦略はあって、「利益率のいい独占企業をターゲットにした」のである。
入社後、まず物流部門に配属され、2年目からは営業を担当する。メーカーの工場に自社製品を売り込む仕事は、「それなりに刺激的で、楽しかった」。しかし、徐々に将来に対する〝疑問〞も膨らんできた。
「サラリーマンをやっているうちに、一歩一歩役職を上っていくみたいな感じの〝これから〞が見えてきたんですね。ちょっと発展性がないなあ、と」
そんな坂本氏が、突然「会計士になろう」と思い立ったのは、学生時代の友人との再会が発端だった。
「税理士になって、けっこう楽しそうに働いているんですよ。それを見て、自分の進むべき方向はそっちじゃないかと感じたのです。で、彼が税理士なら、俺は会計士だ、と。高校を卒業する時に、先生に職業別年収リストみたいなものを渡されて、経済学部ならトップは公認会計士と書かれていたことも、不意に思い出しました」
働きながら専門学校に通い始めたのは入社3年目の時。しかし、両天秤では限界があると悟った坂本氏は、4年目に会社を辞め、試験勉強に没頭する。そして、その1年半後の2004年11月、見事合格を果たしたのである。
この記事の続きを閲覧するには、ご登録 [無料] が必要です。
株式会社串カツ田中取締役 管理部長坂本 壽男