The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
スミダコーポレーション株式会社
代表執行役 CFO本多 慶行
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介していく本連載4回目にご登場願ったのは、スミダコーポレーションの本多慶行氏である。1980年に公認会計士資格を取得し、「日本の会計事務所に比べ進んでいるイメージがあった」という理由で、あえて外資系の監査法人に所属。留学を目的に渡った米国でヘッドハンティングされたのが、民間企業に転身するきっかけだった。以来、様々な業種の企業の経営に参画。国内における会計士出身CFOの“草分け”的存在である本多氏の、キャリア・ストーリーを聞いた。
本多氏が公認会計士資格を取ろうと志したのは、大学2年の頃。
「飲食や不動産業などの事業を手がけていた父親の口癖は、『手に職を持て、資格を取れ』。サラリーマンに偏見みたいなものを持っていたんですね」
その“教え”に従い、大学卒業後2年の浪人を経て、80年に晴れて会計士の資格を手にする。ところが父親が口にしたのは、大いなる不満だった。
「当然のように監査法人に入りました。そうしたら、『手に職を持ったのだから、何も就職する必要はないだろう。“先生商売”は大嫌いだ』と(笑)」
ただしこの時、“就職先”にクーパースアンドライブランド(現プライスウォーターハウスクーパース)という外資系法人を選んだことが、結果的には父親の望む方向へと、息子を誘うことになる。
「なぜ外資系だったか、ですか?私の中に、“アメリカの会計基準やそれに準拠して仕事をする事務所は進んでいる”というイメージがあった。逆に言うと、日本の監査法人はすごく“お堅い”感じがして。どうせ働くなら当時のビッグ8で、と思ったのです」
思惑どおり、そこは水が合った。例えば、グローバルな視点でクオリティコントロールが行われているトレーニングプランは、今とさして変わらないほど充実。ほどなく現場に出て、日本に進出した外資系企業や、反対に米国に出ていく日本企業を相手に、監査の腕を磨いていった。
そんな本多氏に、「米国に留学したい」という思いが芽吹いたのは、至極単純な理由からだった。
「職場に、留学してMBAを取った先輩がいて、その人に触発されたわけです。MBAの取得も流行っていましたし(笑)。最初は自費で行くつもりだったのですが、事務所が奨学金を出してくれるというので、昼は会計士として働き、夜大学に通うというかたちで、シカゴに赴任することにしました」
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スミダコーポレーション株式会社代表執行役 CFO本多 慶行
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