熱き会計人の転機
アカ凸
ファウンダー 公認会計士松本 翔
公認会計士を志したきっかけを教えてください。
松本昔から、かなり反抗的な性分でして(笑)。サラリーマンには絶対向いていない、だったら何らかの専門家になろうと漠然と考えていました。進学した大学の商学部で、簿記の勉強を始めると2年で簿記1級に合格できた。公認会計士を目指す登竜門を突破できた気がして、本格的に勉強を始めました。
ただ監査法人で働く気持ちはまったくなかったですね。合格後は、恩師の誘いで大原簿記学校の講師になりました。人に教えるのは好きでしたから。その後ヘッドハントされてLEC東京リーガルマインドに移籍し、上京。講義がビデオで全国配信される“エース講師”として迎えてもらいました。
2006年に、あずさ監査法人に入所されています。
松本はい、実務要件を満たすギリギリのタイミングだったので。希望が叶い、国際部に配属になりました。メンバー10人中2人がTOEICの満点者。私は何もない田舎の出身なので「すごい世界に来たな」と。でもここで活躍できれば多分どこでもやっていけるだろうと、自分を試すような気持ちもありました。実際、業種業態問わず40社以上の監査を担当させてもらい、いい経験ができたと思っています。
一方で、監査の限界を感じた部分もあります。例えば財務諸表をチェックして「ここが間違っています、直してください」と指摘できても、クライアントが会計ソフト上でどう修正したらいいのかなど、具体的な解決には導けません。「財務諸表の作成責任は御社にありますから」というわけですが、それが“逃げ”のように感じられて。またステークホルダーのための監査ですが、実際はパートナー(上司)の意向にも左右される。そういう立場を変えたいと思ったことが独立の動機です。
独立に際して、どんな準備をしましたか?
松本税務をすることを考えると対象は富裕層が多くなる。彼らの資産運用までトータルサポートするならばと、ファイナンシャルプランナーの資格を取りました。また、異業種交流会にも参加して、顧客獲得につながる人脈の確保に努めました。
10年8月に個人の会計事務所を設立し、税務の仕事をスタート。翌月に設立した株式会社では、経営コンサルティングを主に行っています。自分で会社を経営しているからこそ税務のアドバイスをする時「うちの会社もやっています」と言える。実体験をもとにコンサルができると説得力が違います。
不動産や株式への投資を始めたのもこの頃からです。実は私は身体が弱くて、幼稚園も半分休んだぐらい。自分が働かなくても収入が得られる仕組みをつくっておきたかった。それに会計士という資格の信用力は資金を調達する上で非常に役に立ちます。「資格を担保にファイナンスをする」感覚ですね。
10年にはLECからの要請を受けて、いったん退いていた講師にも復帰しました。やっぱり講師業は面白い。私のライフワークだと思っています。それ以降、私の事業は会計、投資、講師の3本柱です。
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アカ凸ファウンダー 公認会計士松本 翔
加藤税務会計事務所
大学1年次にLECで松本先生の講義を受けました。それまでは公認会計士の仕事もよく知らず「何か資格でも」程度の気持ちだったんです。でも、その講義はすっと内容を理解できましたし、「会計士には大きな可能性がある」と繰り返し話してくださるので、モチベーションに火がつきました。松本先生がいなかったら私はきっと途中で勉強を投げ出していたと思います。キャリア相談にも乗っていただきました。私のみならず、受講生一人ひとりの悩みに時間をかけて真摯に向き合うため、順番待ちが大変でした(笑)。合格後はトーマツに入所、3年勤めた後に地元で独立しましたが、今もよく相談させてもらっています。松本先生は私にとって“10年先をゆく”新しいかたちの会計士。これからも私の目標であってほしいです。