会計・経理職の転職専門エージェント > 公認会計士の転職 > アカウンタンツマガジン[Accountant's magazine] > vol.3 > 西川 郁生(企業会計基準委員会(ASBJ) 委員長) - 会計士の肖像
現場で働く会計士の声

Accountant's magazineとは

back
number

Accountant's magazine vol.3

-アカウンタンツマガジン-
2010年12月01日発行

会計士の肖像

「自分の存在が、社会に役立っているという確かな意識を持てた時、人生はより豊かなものになる」

企業会計基準委員会(ASBJ)
委員長西川 郁生

会計士の肖像

無類の小説好き。文化系に才を発揮し、順当に進学校へ

国際会計基準(国際財務報告基準、以下IFRS)が強制適用されるか否か――その判断を2012年に控え、今後の成り行きは一層の注目を集めている。IFRS対応の中核的な役割を担う民間団体「企業会計基準委員会」(以下ASBJ)のトップに就く西川郁生の日々は、当然ながら多忙だ。ぴったり50歳で監査業務の“現場”を離れ、以降10年近く、日本の会計基準づくりやその国際化に専心してきた。

一方で、同じく50歳でマラソンを始め、好成績を挙げる市民ランナーとしての顔も持つ。東京スカイツリーが高くなっていくのを見上げながら、毎日のように荒川の土手を走っているそうだが、このエリアは、西川の人生の記憶がスタートした地でもある。

出生は佐賀県なのですが、4歳の時に一家で葛飾区に引っ越してきたので、佐賀時代の記憶は全然ないんですよ。戦争から戻って郷里の佐賀にいた親父は、友人の声かけで上京し、溶接などを行う中小企業を経営していました。母親は経理として会社を手伝っていたから、祖母が夕飯の支度をし、僕ら兄弟3人の世話をしてくれていました。家の隣に工場があったので、住み込みの工員たちもいて一緒に遊んでもらったものです。海抜ゼロメートル地帯である葛飾区では、当時洪水が年中行事でね。ある時、工員たちが筏を組み、大水に浮かべて近所を回るというので僕も乗っけてもらったんです。で、筏の上から大水に向けて小便したり……そんなくだらない記憶がある(笑)。世の中全体が貧しい時代だったけれど、面白かった。やんちゃでしたし。

ところが小学校4年生の時、医者に心悸亢進だと診断されて、体育の授業は1年間ずっと見学。今でいう不整脈のようなもので、結局何でもなかったんですが、おかげで運動とは縁遠くなってしまった。本を読んだり、学級新聞をつくったりするのが好きでしたね。ガリ版の時代です。鉄筆でカリカリ書いて。連載小説みたいなものも書いていました。そんなことばかりしていたから、わりに教育熱心だった祖母には「小説やマンガばっかり読んで!」と、よく怒られたものです。

ほかにも切手収集や、絵を描けばコンクールに入選するなど、西川の少年時代の思い出は豊かだ。勉強は特段しなかったが、成績優秀だったのだろう、5年の時の担任の先生に勧められたのが、開成中学校の受験。当時も難関校である。西川自身に予備知識はなかったが、「まぁやってみるか」と受験したところ、めでたく合格となった。

東京の端っこからのこのこ出て行って、開成にはかろうじて引っかかったという感じですよ。だから中学生になってからは、勉強のプレッシャーが強くなってきました。男ばっかりだから、運動会なんかはすごく盛り上がるし、授業中バカ騒ぎもするし、見た目に競争ムードはないのですが、さすがに中学生後半から高校2年ぐらいにかけては、それなりに勉強しました。ガクンと視力が落ちた覚えがあるから(笑)。小説好きはさらに度が上がって、三島由紀夫やスタンダールなどを読みまくっていました。勉強以外のこととなると、僕には読書が一番でしたから。

周囲の多くがそうであるように、僕も東大に進もうと考えていて、文学部志望だったんですよ。ところが、担任が「何を言ってるんだ。もったいない」と言う。価値観の問題なんでしょうけど、多分、社会に出てから“つぶしがきく”みたいなことかな。そう言われると、小説が好きなだけで、文学部志望に確たる信念がないことに気付いて、変更することにしたのです。そうなると、法学部か経済学部。僕は役人になる気はなかったし、数学も好きだったから、経済にしておくか、と。何だか、いい加減な感じですよね(笑)。

この記事の続きを閲覧するには、ご登録 [無料] が必要です。

Profile

企業会計基準委員会(ASBJ) 委員長 西川 郁生

企業会計基準委員会(ASBJ)委員長西川 郁生

1951年7月1日
佐賀県佐賀市生まれ
1973年9月
公認会計士第二次試験合格
1974年10月
監査法人栄光会計事務所入所(後に合併によりセンチュリー監査法人となる)
1977年3月
公認会計士登録
1977年4月
同法人米国ロサンゼルス事務所設立のため渡米(1984年に帰任)
1981年10月
同法人社員に就任
1983年2月
米国公認会計士試験合格(翌年3月、カリフォルニア州で登録)
1990年9月
センチュリー監査法人代表社員に就任(後に合併と社名変更で新日本監査法人となる)
1992年7月
日本公認会計士協会 理事
1993年1月
国際会計基準委員会(IASC)日本代表
(~1998年)
2001年7月
新日本監査法人 代表社員退任
2001年8月
企業会計基準委員会 副委員長に就任
2007年4月
同委員会 委員長に就任
2009年4月
同委員会 委員長に再任

Accountant's magazine
バックナンバー

Accountants_magazineバックナンバー 学生インターン募集中 PARTNERS

掲載企業抜粋(50音順)

あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行
わ行

ジャスネットの強み

【閲覧無料】会計プロフェッションのヒューマンドキュメント誌「アカウンタンツマガジン」

ジャスネットコミュニケーションズ株式会社プライバシーマーク ジャスネットコミュニケーションズ株式会社は、「プライバシーマーク」使用許諾事業者として認定されています。


ジャスネットコミュニケーションズ株式会社 職業紹介優良事業者 ジャスネットコミュニケーションズ株式会社は、職業紹介優良事業者として認定されています。


↑ PAGE TOP

© JUSNET Communications Co.,LTD All rights reserved.

新規登録