The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社エプコ
代表取締役 COO吉原 信一郎
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介していく本連載5回目にご登場願ったのは、エプコの吉原信一郎氏である。監査法人で4年間、IPOを目指す企業に対するコンサルティングにかかわる中、2002年、顧客の一つだった同社に管理担当の責任者として“引き抜かれ”た。上場実現後も会計士の経歴をフルに生かして、業容拡大に貢献。今年4月にはCOO(最高執行責任者)に就任した吉原氏の、キャリア・ストーリーを聞いた。
「手に職を持て」。サラリーマン社会の大変さを知り尽くした父に常々そう聞かされていた息子は、高校を卒業する頃になると、漠然とその道を模索するようになっていた。
「ただ、“手に職”といっても、医者か弁護士か……そう考えていった時、自分は数学が好きだと思い至ったんですね。だったらそれが生かせる公認会計士資格を取ろうと決心して、大学も国立の経営学部を選択しました」
大学2年から専門学校に通い始めるが、勉強は3年間と決めていた。
「マージャンが大好きだったのですが、3、4年になると、友人と卓を囲んでいても『どこそこに面接に行った』といった話になるわけですよ。俺はもう一般企業への道は閉ざされたんだと、けっこう疎外感も味わいました。3年やってダメだったら、会計士にも縁がなかったとあきらめる。その時は雀荘の店員をやるしかないかなと(笑)」
結果的には大学を卒業した1997年の8月にめでたく合格を果たし、10月には朝日(現あずさ)監査法人に入所。“手に職”の一歩を踏み出したわけだが、頭の中にあったことは、他の合格者たちとはちょっと違っていた。
「財務諸表を見て、意見表明したりコンサルしたりというような、一般的な“監査法人にいる公認会計士”の仕事を、ずっと続けたいとは思っていませんでした。いつかはプレーヤーとして事業会社の経営に参画したかった」
そんな思いもあって、ベンチャー企業向けコンサルタント、IPO支援の仕事に手を挙げる。「大手邦銀や大手メーカーなどの“花形”とは真逆の、聞いたこともないような会社を相手にするわけだから、あまり人気もなかった」ことも幸いし、希望はとおった。
創業者らと膝を突き合わせ、上場審査に耐え得る組織体制の整備などに奔走する日々。実際にIPOを果たした企業は数多い。だが、どこかもどかしさも募っていった。
「アドバイスすれば、確かに管理体制のレベルはみるみる上がっていくのです。でも、それと実際に稼ぐ能力とは別。そこの部分にかかわってみたい、事業会社に行きたいという思いが、ますます強くなりました」
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株式会社エプコ代表取締役 COO吉原 信一郎