The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
デジタルアーツ株式会社取締役
管理部部長赤澤 栄信
「CFOになりたい」。赤澤栄信氏がそんな志を抱いたのは、社会に出てからのことだった。勤めていた会社を3年で辞め、監査法人で10年の“修業”。念願かなって昨年、1部上場企業のその座に就いた。目指した“頂”で、今見据えているのは、はたして何か。
赤澤氏は1975年、大阪・高槻市に生まれる。だが銀行に勤務していた父親の転勤に伴い、「一度母親が数えたら、13回も引っ越ししていた」という少年時代を過ごす。ただし相次ぐ転校に対しては、「まったくポジティブで、次はどこに行くか楽しみにしていた」という。
「東京では大阪弁、大阪に行くと東京の言葉がウケた。転校先にはすぐに溶け込めたし、当時の記憶は楽しいことばかり。僕はわりとどんな人の懐にも、すんなり入っていけるんですよ。そんな性格は、あの引っ越し続きの子供時代に養われたのかもしれません」
中学生になると、熱中したのがラグビーだった。面白さに開眼しただけではなく、地域の中学生選抜にも選ばれ、強豪高校からスカウトされるほどの実力を発揮する。
その道は「ラグビーで飯が食えるわけではない」という父親の助言で断念するものの、入学した府立の進学校でもその後進んだ神戸大学でもラグビー部に所属し、キャプテンを務めた。そんな経験は「自分の“軸”を築くうえで役立った」と赤澤氏は言う。
「キャプテンとして、常に『いいリーダーとは何か?』を考え、行動していました。それも今の自分につながっているような気がするのです」
大学卒業後、就職先に選んだのは生命保険国内最大手、日本生命である。配属は営業人事だった。
「会社には素晴らしい先輩がたくさんいました。人事という職場で、最初から会社全体の視点に立って仕事ができたのも、とても有意義でしたね」
ちなみにここでも当時なかったラグビー部の立ち上げに奔走、キャプテンとして活躍した。関東社会人リーグの4部からスタートし、在部している間に2部への昇格を果たしたというから、やはりその手腕は並ではない。
こうして仕事に“部活”に、全力で取り組む赤澤氏だったが、やがてその将来を大きく変える心境の変化にとらわれる。原因は2つあった。
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管理部部長赤澤 栄信