The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
データセクション株式会社取締役CFO
経営管理部部長望月 俊男
大学受験の“挫折感”をエネルギーに会計士試験にチャレンジするも、4度失敗。念願かなって入所した監査法人では、監査よりもむしろIPOやデューディリジェンス(DD)などの企業サポート業務に勤しむことが多かった。そんな望月俊男氏が転職先に選んだのは、「内定が出たなかで、提示された給料が最も低い」会社だった。
1971年、東京・杉並の「ごく普通のサラリーマン家庭」に生まれた望月俊男氏は、高校卒業後、1浪して法政大学経営学部に入学する。ただ、公認会計士を目指して、経営学部を選んだ、というわけではなかった。その気持ちが芽生えた裏には、大学進学に対するこんな思いがあったという。
「高校は都立の進学校で、“浪人したら早慶”が当たり前みたいな感じだったんですよ。なのに俺は、と(笑)。正直、ちょっとがっかりしながら校門をくぐったのですが、逆にこのまま流されたら人生ダメなんじゃないか、とも感じました。そこで、弁護士などと並ぶ難関の会計士資格にチャレンジしようと思い立ったのです。大学にはそれ専門の講座もありましたし、『こうなったら、一念発起して“ひと山”当ててやる』くらいの気持ちでしたね」
とはいえ、専門学校とのダブルスクールを維持しようとしたら、お金もかかる。大学1、2年は、学費を捻出するため日雇いなど、時給の高いバイトに精を出し、本格的な勉強を始めたのは、3年生の時だった。
専門学校に通い出してからは、朝から晩まで机に向かう日々に。だが、その努力もなかなか結果には結びつかなかった。在学中に初めて受験して以降、毎年挑戦するも、合格通知は届かない。さすがに4年連続不合格となると、親も黙ってはいなかった。「そろそろ博打みたいなことはやめて、どこかに就職したらどうか」と息子を諭したのだ。「残念ながら、授業料がきつくなっていたのも事実なんですよ。それで、ここは親のいうことを聞こう、と」
かくして、試験勉強の継続を断念。97年11月、通っていた専門学校の講師の紹介で、印刷会社の経理職として就職することに。ところが、すぐに「ちょっと違うな」という感覚にとらわれたという。「自分が成長できるイメージが湧かなかった」のだ。
そう思うと、頭の切り替えは早かった。翌年夏には退職し、いったん諦めかけたものの、やはり心の中にくすぶり続けていた「会計士資格を取る」という目標に向けて再始動する。すると翌年、“5度目の正直”で見事、合格を勝ち取ったのである。
10カ月ほどのブランクも、無駄ではなかったようだ。
「一日中勉強できるのがいかにありがたいことなのか、気づかされたんですよ。以前より集中して、効率的な勉強を進めることができました。それが大きな勝因でしたね」
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