会計業界の起業人
永峰・三島会計事務所
代表パートナー永峰 潤
国際会計スキルと英語力を武器に、顧客の実に8割が外資系という特徴的な会計事務所をつくり上げた人物がいる。永峰・三島会計事務所の永峰潤氏だ。東京大学では文学部西洋史学科に籍を置いたが、在学中に公認会計士二次試験に合格している。
「会社員には向いていないと考えていました。だから、手に職を付けたかった。また、いずれは仕事を通じてアメリカに留学してみたいとも。そうなるとグローバルに通用する仕事でなければなりません。そんな理由から、公認会計士を目指すようになったのです」
大学卒業後は、等松・青木(現トーマツ)監査法人へ。アメリカ留学にも近そうだ、というのが選択理由だった。だが、留学を希望するも、なかなか叶えられないまま、2年半ほど監査業務に従事することになる。
「ところが、自分は監査業務には合っていないな、と思ったんです」
その後、コンサルティング部門へ異動。ここで、念願のアメリカ留学を果たすのだが、渡米後に大きなカルチャーショックを経験することに。
「留学した当時、すでに日本は経済大国になっていました。ニューヨークに行けば、日本人が世界のビジネスパーソンと肩を並べて勝負していると思っていたのです。ところが違った。国際的なマインドセットを持った日本人は、極めて少なかった」
名門ウォートンスクールでMBAを取得。帰国後の仕事に物足りなさを感じ、M&Aを展開する投資銀行への転職を決断する。留学費用を返還する義務を負っての転身だった。だが、あまりに世界が違い過ぎた。
「一番戸惑ったのは、何をモチベーションにして働くのか、でした。仕事自体はエキサイティングでしたが、徐々に、自分がずっといる場所ではないと思うようになりました」
在職期間は約3年、だが、業務経験以上に、後に大きな意味を持つ能力をここで得る。留学時に納得できるほど上達できなかった英語力だ。そんな折、友人を介して赤坂にオフィスを構える病院の経営者と出会う。会計士資格を持っていることを告げると、独立を勧められた。しかも、そのオフィス内に専用の席まで用意してくれるという。
「その医療法人が、最初の顧問先。これが、私の起業人生の始まりです。1989年、32歳の春でした」
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永峰・三島会計事務所代表パートナー永峰 潤
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