The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
リシュモン ジャパン株式会社
経理本部本部長佐藤 久史
「30歳で海外に、40歳でCFOに」。自らが立てた目標を叶え、佐藤久史氏は今、カルティエなど世界的ブランドを傘下にスイスに拠点を置く、リシュモングループの日本法人、リシュモンジャパンで、その職にある。監査法人からソニー、スイス電力・産業機械大手ABBと途中8年にわたる海外生活も交え到達した「グローバルと直結したCFO」への道のりは、東大経済学部在学中の会計士試験合格に始まる。資格取得に踏み出した裏には、現役会計士の〝一言〞があった。
「勉強そっちのけの楽しい学生生活を送っていた」佐藤氏がふと立ち止まったのは、大学2年の終盤のことだ。
「大学生活の後半2年、何にかけるか悩んでいました。その場を大学の外に求めるというのは前半2年と同じでしたが(笑)、そこで考えついたのが資格を取ることだったんです。で、会計士が頭に浮かんだ」
この時、「つてを頼って」当時唯一知っていた会計士に連絡を取ったことで、漠然とした思いは、確固たる目標に変わる。
「いきなり電話して『会計士になろうと思うんですけど』と言う若造の話に真摯に耳を傾け、『まず簿記をやってみて面白いと感じたら本気で目指しては』とお話しいただきました。今から考えても、最良のアドバイスでした。善は急げで直後の大学2年の1月から簿記学校に通い始めました」
行動は、吉と出る。
「大学の会計の授業ではちんぷんかんぷんだった減価償却の概念が、1回の授業でバッチリ理解できた。すごい世界だな、と。いただいたアドバイスに答えるならば、『面白い』」
こんな経緯で会計士へのチャレンジを決めた佐藤氏は、「朝7時から夜の9時まで机に向かう日々」を経て翌年6月の公認会計士第二次試験突破を果たす。大学を卒業した1994年4月、就職先に選んだのは、朝日監査法人(当時)だった。
「古き良き日本の監査法人に、当時提携していたアーサーアンダーセンの〝カタカナ文化〞が入ってくるタイミングでした。これも私に合っていた。単なる数字や書類のチェックではなく、顧客の求めるサービスを考え提供していくべし、という精神を叩き込まれたのは、非常に有意義でした」
〝外資系〞の息吹を感じるなか、「30歳までに海外に出たい」と考え始めたのは、この頃だ。もう一つ、様々な顧客に対応するうち、頭の中で徐々に膨らむものがあった。「助言ではなく、意思決定の側に立ってみたい」という思いである。
公認会計士協会の就職斡旋所に無造作に置かれていた求人票の束から、佐藤氏はその実現の道を見つけ出す。
「幾多の会計事務所に埋もれるようにして、ソニーの求人があるのを見つけたんですよ。ここなら、海外にも行けるはずだ、と」
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リシュモン ジャパン株式会社経理本部本部長佐藤 久史