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「変革の時代だからこそ、監査人としての気概、泥臭さみたいなものは、改めて重要だと思う」
公認会計士浜田康事務所
浜田 康
会計士の肖像
税理士法人サクセスサポート
代表社員小林 晟祐
会計プロフェッションとして50年を超える道のりを歩んできた小林晟祐の本懐は、「中小企業の総合的支援」にある。会計・税務上の数値にとどまらず、経営者の人間力や経営哲学と向き合い、総合的にサポートする――その姿勢は一貫して変わらない。そして特筆すべきは、常に業界全体を見据え、公認会計士の活躍の場を自らの手で切り拓いてきたことだ。若い頃から日本公認会計士協会の常務理事などを歴任し、制度発展や環境整備のために尽力してきた。なかでも、小林が発起人代表として発足させた「公認会計士清風会」は、長い年月を経た今も、若手会計士が未来を考える有益な場として紡がれている。実務面においても、公益性においても、小林が会計士界に残した足跡は大きい。
戦後まもなく、親父が台東区で豆腐店を開業しましてね、中学生だった私もよく手伝っていました。大豆の買い出しについて行ったり、つくった豆腐を近所に配達したり。朝が早くてきついし、自転車で回っていると、冬なんかは路面が凍結していて転ぶんですよ。それで豆腐を潰しちゃったりすると「こんな商売、やるものか」と思ったものです。でも、私は長男ですし、いずれ継ぐことになる運命だと考えていたから、親父にはそんなこと言えませんでしたが。
当然のように進学したのは商業高校で、都立の芝商業です。その先の大学進学はないと思っていたので、入った以上は“やり納めの勉強”として簿記、ソロバンを徹底してやろうと決めたんです。実際、珠算部に入部してからは日々練習に明け暮れ、珠算特級で全国珠算競技大会に出たり、2年生の時には、3年生の教科書を先読みして商業高校協会の簿記実務1級も取ったりと、どんどん力がつくのが面白くて夢中になっていました。
それが一転したのは3年生になってから。忘れもしない5月のこと。父兄個別面談があり、担任が親父に「小林君は懸命に勉強するし、大学に行かせたらどうですか」と勧めたらしいのです。早くに親を亡くし、学に恵まれなかった親父にも思いがあったのでしょう、「お前が行きたいのなら」と進学を後押ししてくれました。本心を認めてくれてうれしかった私は、その日のうちに本屋へ走りましてね、参考書を買い込んで受験勉強を開始。高校を卒業したら午前中は家業をやり、午後は珠算塾でも開こうかと考えていたのですが、結果的には担任と親父のおかげで今の人生が開けたのだから……大感謝です。
もとより何かに集中するのが好きな小林は一気に受験モードに入り、志望どおり、早稲田大学第二商学部に合格。入学後も知識欲は膨らむばかりで、翌年、親の許しをもらい第一商学部へ移籍するも……すでに簿記の基本は履修していたから、「大学の授業は物足りなかった」。小林は図書館や会計学会というサークルで自ら学んだ。
「会計はどのように発達してきたのだろう」に始まって、勉強というよりは興味・関心が強かったんです。例えば、『会社会計基準序説』とか『リトルトン 会計発達史』などといった、教科書では学べない会計関係の本を読みあさっていました。自分で選び、かつ私を育ててくれたこれらの名著は捨てられなくて、今も本棚に残っています。 3年になるとゼミがあるでしょう。私は商人の町で育ったので、経営のための会計、管理会計論をやりたくて青木茂男先生のゼミを希望したのですが、当時は「4年生しか採らない」と。それで1年待つことにし、その状況を伝えたうえで入れてもらったのが監査論の日下部與市先生のゼミ。わからないものですよね。学んでみて監査論がすっかり面白くなった私は、ここから会計士を目指したくなったのです。「監査が公平な経済社会をつくる」という正義感にも惹かれたのでしょう。
そして、並行して励んでいたのが会計学会のサークル活動です。仲間と酒を飲みながら、様々な研究テーマに基づいて議論を交わす日々も楽しかった。私は「やりたいこと」にすぐ熱中するものだから、他大学との研究会を発展させて、3年の時には早稲田が中心になって初の「日本学生会計学研究大会」を開催したんです。著名な会計学者を招聘すると共に、全国から参加した各大学が自分たちの研究成果を発表し合う大会。その後に続いた神戸大学主催の大会では、早稲田が高い講評を得まして、日下部ゼミの名を揚げるのに一役買ったと思います(笑)。思い返せば、私は当時からこういう“場づくり”が好きというか、活動していましたね。
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税理士法人サクセスサポート代表社員小林 晟祐
東京会常任幹事、協会理事・常務理事・監査第一委員会副委員長、東京会監査委員会委員長、協会公益法人委員会委員長・懲戒委員会委員長、公認会計士試験第三次試験委員などを歴任