The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社 Orchestra Holdings
取締役 CFO五代儀 直美
公認会計士の資格を取ったのは、企業コンサルタントとしての〝自らの価値〞に限界を感じたから。手にしたキャリアは、外資系証券で自己投資部門のサポート業務に携わる中でさらに磨かれ、事業会社のCFOという「まったく想像していなかった仕事」に、五代儀直美氏を導いていく。そこは、「管理だけでなく事業拡大にも貢献できる、今までで最もやりがいのある職場」だった。
「学生時代は、バイトとバックパックの海外旅行に明け暮れていた」五代儀氏は、1998年、早稲田大学政治経済学部を卒業し、野村證券に就職する。だが、1年を待たずに退職。
「配属されたのは、希望していたコーポレート部門ではなく、個人向けの営業支店だったんですね。このまま証券の営業としてキャリアを積んでいく自分が、どうしてもイメージできず……。けっこう決断は速いほうなんですよ」
とはいえ、その時点では、「もう少し専門的な知識を身につけて、コンサル的なことをしたい」程度の展望しかなかったのだという。そして決めたのは、「きちんとした資格を取る」こと。ターゲットは、米国公認会計士だった。
「当時、USCPAが世間的に注目されていたのと、日本の会計士よりは取りやすいだろうと考えた」のが理由だ。
首尾よく合格後、企業コンサルのEYトランザクション・アドバイザリー・サービスを再就職先に選ぶ。
「仕事仲間は、銀行や証券で経験を積んだプロばかりという職場でした。取り組んだバリュエーションやデューデリジェンス(DD)などの業務も、非常に勉強になり、面白かったです」
だが、仕事の奥深さを知るにつれ、限界も覚えるようになったという。
「自らの未熟さというか、アドバイザーとして何も価値を提供できていないということを思い知らされたわけです。USCPAを取っただけでは足りないことも、痛感させられました(笑)」
そんな時、監査法人から転職してきた会計士とともに、あるプロジェクトに取り組んだことが、また新たな決断を促す契機となった。
「法人でマネジャーを経験した方でしたが、率直に『私もこんなアドバイザーになりたい』と思ったのです。逆にいえば、『会計士になれば、こういうふうに仕事ができるのだ』と。例えばDDにしても、目の前の数字がどう出来上がっているのか、それから何を読み取るのかを見極めるのは、深い専門性あってのこと。さらには、会計以外の法律や税務も含めた有機的な結びつき、全体像を理解するかしないかで、仕事の質が大きく違ってくるわけです。資格試験を通して、そうしたスキルが効率的に学べるはずだし、監査法人で実務を経験したら、それを血肉にできるはず。そう考えて、今度は日本の資格を目指すことにしたのです」
会計士第二次試験にパスしたのは、2003年10月。「〝US〞のベースがあった」とはいえ、同社を退職し、勉強に専念してから10カ月ほどのスピード合格だった。
この記事の続きを閲覧するには、ご登録 [無料] が必要です。
株式会社 Orchestra Holdings取締役 CFO五代儀 直美