The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社インターワークス取締役
経営管理本部本部長大平 秀行
2014年、総合人材サービス企業インターワークスは、リーマンショックでいったん頓挫した念願のIPOを達成した。中心となったのは、CFOの大平秀行氏。「公認会計士の資格を武器に、企業の経理財務部門で活躍したい」。その若き日に思い描いた人生のパズルの“ある重要なピース”を欠きながらも、完成させた男だった。
1962年、大阪市で生まれるメーカーに勤めていた父親の転勤に合わせ、府下を移り住む少年時代を過ごした大平氏が同志社大学商学部に入学したのは、82年のこと。折しも、大学が「総合レジャーランド」と揶揄され始めた時代、「ご多分に漏れず、軟派なサークルに2つ3つ所属して、バイトに明け暮れる毎日」を送る。
就職活動を始めたのは、4年生になってから。「真剣に将来の事を考えていた訳ではなかったが、なぜだか、銀行員になりたかった」。そんな就職活動の結果、地銀をはじめ、3行から内定通知を受け取った。ところが、その段になって、自分の将来に疑問を抱く。「ふと、地方の漁村を営業自転車で走り回る姿が思い浮かんだ(笑)。待てよ、それは違うな、と。周りの人間たちと同じように、大きな組織に入っても、自分はきっと大成できないだろう。小さくてもいいから、トップに近いところで最初から仕事がしたい、という思いが抑えられなくなって」
代わりに思い立ったのが「会計士になろう」という考えだった。いったい、なぜなのか?
「バブルの前夜で企業の“財務”がクローズアップされていて、言葉の響きもカッコよかった(笑)。それに関連した分野に行きたい、と思ったのです。そのためには、まず会計士の資格を取ること。たまたま目にした本に、『会計士資格をステップにして、企業経営に携わる』という生き方が紹介されていたのにも、大いに触発されましたね」
かくして、会計士試験の受験専門学校に通う日々が始まった。当時の会計士試験は、合格者が毎年300人程度の、狭き門。「3、4年は、受からなくて当然」というスタンスで臨んだのだったが……。週3日ほど学習塾の講師をやり、専門学校の受講費用を捻出しながら、“勉強漬け”の毎日を過ごすものの、やはり“目論見”どおり、おいそれと合格させてはくれなかった。
3年経ち4年が過ぎ、さすがに焦りも覚え始めた、受験生活5年目の90年には、研修生としてKPMGセンチュリー監査法人に入所する。
「当時は受験生の“青田買い”が盛んでした。全国模試の結果などを調べた監査法人から『うちに来ませんか?』と声がかかるわけです」
そこであれこれアシスタント業務をこなしつつ、さらに勉強を重ねるも、重い扉は、どうしても開かない。
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株式会社インターワークス取締役
経営管理本部本部長大平 秀行