会計業界の起業人
青山綜合会計事務所
代表パートナー横山公一
証券化やファンドビジネスなどの金融関連分野に特化して急成長。設立したSPV(Special Purpose Vehicle)は1300以上、管理資産は約3兆円にものぼる。現在は香港、中国、シンガポール、ベトナム、マレーシア、カンボジア、インド、ロシアなどに海外ネットワークを持ち、新しい時代の新しい会計事務所の姿を追求し続けるのが、青山綜合会計事務所だ。
「いずれ自分でビジネスを、と思っていました。そのためにまず公認会計士資格の取得を決めたのです」と語るのは、1999年に仲間と3人で同事務所を立ち上げた横山氏。
きっかけは、公認会計士からスタートし、実業家として成功を収めたG・キングスレイ・ウォード著の『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』との出合い。会計士になれば、いろいろな企業のトップに会え、起業のヒントが得られると考えた。
「大学時代はバブル絶頂期。みんなが、大手の企業に就職するのなら、自分はしないで会計士になろうと。昔から、天の邪鬼というか、”逆張りグセ”があるんですよ(笑)」
そして、二次試験に合格後は、監査法人の中でも一番厳しい職場で働くことを決めていた。
「受験生時代に聞いたことがあったんです。トーマツにとんでもなく厳しい部署があると」
希望どおり入所を果たすが、仕事は想像以上の激務。担当顧客は大企業のみならず、勘定科目内訳明細書もなく株式公開を目指す企業まであった。日中3件の訪問を済ませて事務所に戻ると、夜は有価証券報告書をチェック。過労で倒れたこともあったが、仕事は刺激的で面白かった。
「様々な企業のトップから事業構造やサービスの仕組み、業界の特徴なども学べました。ただ、受け身の仕事では限界がある。もっとアグレッシブに、自らの手で作り上げていく仕事がしたいと思うようになった」
会計の知識やスキルをベースに何か新しいことはできないか。会計士仲間3人で夜な夜な”作戦会議”をし始めたのは、監査法人に入って8年目。横山氏が32歳の時だった。
「ちょうどその頃、仕事を通じて、”証券化”という手法に出合ったんです。ある金融機関が言うには、『これから需要は増えるが、国内では管理できる会社が少ない』と」
だが、成功する保証などない。悩む3人の背中を押してくれたのは、ある企業経営者だった。
「『やるなら今だ。本気でやれ』と、格安の家賃で20坪ほどのオフィスまでアレンジしてくれたんです」
このオフィスが東京の青山にあり、それが事務所名の由来となる。
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青山綜合会計事務所代表パートナー横山公一
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