The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社いつも
取締役CFO コーポレート本部長杉浦 通之
2007年創業の株式会社いつもは、D2C、ECマーケティングのリーディングカンパニーだ。サイト構築、デザイン、カスタマーサービス、広告運用、物流と、ECのバリューチェーン全体を一気通貫で支援できる点を強みとする。新型コロナ禍によりEC需要が増大したことで、同社の成長が加速。同社CFOの杉浦通之氏も「当社の成長余地は無限大。事業成長に貢献できるCFOを目指す」と意気込む。
建設業を営む父親を見て育ち、「自分で事業をやりたい」と思うようになったと語る杉浦氏。だが「ゼロイチで新しいものを生み出すような閃きは自分にはない」とも感じていた。そんな折、大学のゼミの先生が公認会計士だった縁で、簿記に触れた。数学は昔から得意。公認会計士として経営を裏で支える仕事が、自分には向いていると直感した。
だが、「安易でした」と杉浦氏は言う。やがて勉強についていけなくなり、在学中の受験を断念。ならば働きながら毎年少しずつ試験を受けられる税理士を目指そうと就職した会計事務所も、忙しくて勉強どころではなかった。そこで一念発起。その事務所を1年弱で退職し、あらためて公認会計士の勉強に集中することに。
「でも今思えば、一度挫折して、就職してよかったと思っています。多少なりとも社会を知ることができましたし、同級生たちが活躍しているのを見てようやく、『ここで絶対に受からなきゃ』という危機感が生まれました。あのまま学生のノリで勉強を続けていたら、3〜4年やっても受からなかったと思います」
就職したのはあずさ監査法人(当時)。上場企業の監査、ベンチャーのIPO支援などに携わり、マネジャーも経験した。とはいえ「事業をやりたい、経営を裏で支えたい」という思いは消えなかった。9年であずさ監査法人を退所すると、ベンチャーに飛び込んだ。
ベンチャー1社目はクラウド会計ソフトを手掛けるfreee株式会社。事業内容が会計とシンクロしており、自身の経験が生かせると期待した。当時は、個人向けのイメージが強かったfreeeが法人向けサービスの強化に動いていた時期。杉浦氏は法人向けソフトのカスタマーサポートにあたるチームのリーダーを務めつつ、経理業務も兼務した。
「事業会社の一般的な仕事の仕方や流れを学んだのがこの頃です。それこそSalesforceやGmailなども、freeeに来てから初めて触れました。これは私にとって大きい経験。もし事業部門を知らないまま管理部門に回っていたら、視野が狭いCFOになっていたと思います。また当時、自分では認識していなかったのですが、『監査法人ではマネジャーだった』という変なプライドがどこかで残っていたようで、それがベンチャーのマインドに合わなかった部分は後で認識しました。そのプライドも、現場で揉まれたおかげで壊せたと思います」
ベンチャー2社目は、CXプラットフォームの「KARTE」を開発している株式会社プレイド。偶然にもfreeeのオフィスと同エリアだったことがきっかけで、プレイドの初期メンバーと知り合った。ここでは経理、総務、人事労務も含め、管理部門を一から立ち上げ、IPOにむけた組織づくりに尽力した。
「ウォーターサーバーの水の発注まで自分でやっていたことを覚えています。プレイドは、私が知るベンチャーのなかでも“ぶっとんだ”カルチャーでしたね。『事業成長を阻害するものはなるべく削ぎ落としたい』のが経営陣の意向。上場準備のため必要なワークフローを一つ入れるにも、かなり精査されました。そんなカルチャーを尊重しながら、上場準備に耐えられる管理体制を整えていきました」
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株式会社いつも取締役CFO コーポレート本部長杉浦 通之
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