The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
Retty株式会社
CFO/コーポレート部門担当執行役員土谷 祐三郎
監査法人からコンサルファーム、投資ファンドを経て、2016年にグルメ情報サービスを提供するRettyのCFOに就任した土谷祐三郎氏は、「会計士として監査の世界から外に出るのなら、〝資格×何か〞で自らの付加価値を高めていく発想が大事」と話す。「会計士のニッチ戦略」と語るその成長の極意とは。
1979年、横浜で生まれた土谷氏は、父親の仕事の関係で小中学校時代に2度、海外生活を送る。今につながる「日本への思い」は、その経験から醸成されたものだった。
「小5からニューデリーで1年半、その後すぐ北京で2年半ほど暮らしました。帰国して感じたのは、世界に冠たる経済大国にもかかわらず、日本人の常識が世界中の常識と考えてしまうような〝視野の狭さ〞。一時期は、その常識に染められないよう将来日本を出ようか、と思っていました。しかしその後、明治維新や昭和以降の経済成長などの詳細を知るにつれ、日本人としての誇りを持つようになり、逆に日本をよくしたいという強い思いが芽生えてきました」
慶應義塾高校時代は、フォワードとして全国大会に出場するほどグランドホッケーに打ち込む。大学は慶應の経済学部へ。だが、入学早々頭をもたげたのは、危機感だったという。
「高校は部活と遊びばかり。大学も同じことをしていたら、就活で受験組に絶対勝てないと気づいた(笑)」
大学の生協で偶然見つけたパンフレットをきっかけに、公認会計士試験へのチャレンジを決意した裏には、「普通の会社員にはなりたくない」という思いもあった。専門学校に通い始めたのは1年生の半ば頃から。
「専門学校には大学の友人が10人くらいいました。首尾よく4年生の時に合格できたのは、彼らと一緒に切磋琢磨できたからだと思っています」
就職先に選んだのは、監査法人トーマツ(当時)。卒業した01年といえば、業界が大忙しの時代である。
「在学中から非常勤で勤めたのですが、学生なのに一人でクライアント先に行かされたり(笑)。先輩からの引き継ぎではなく、初年度の監査を任されることも。ゼロから自分で必要な手続きを考え、お客さまとコミュニケーションを図って情報をいただき検証していく動きが求められ、大変でしたけど鍛えられました」
こんなこともあった。
「関係が冷え切り、契約解除寸前のクライアントの現場主任を任されたのです。行ってみると、会計士の付加価値が認められていないのが明白でした。そこで、ただ単に数字の修正を伝えるだけでなく、監査の過程で発見された事項について、『こうすれば経営的にも改善されていくはずです』といった事業プロセスの改善提案などを積極的に行うように。ぎくしゃくした関係も〝飲みニケーション〞などで徐々に改善させて(笑)。結果、数年後には監査報酬を4倍に上げてもらうことができました」
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Retty株式会社CFO/コーポレート部門担当執行役員土谷 祐三郎