会計士の肖像
株式会社アットストリーム 代表取締役
アットストリームパートナーズ合同会社 理事長・代表パートナー大工舎 宏
ともすれば規模を追い、ともすれば本質的ではないテーマに傾注しがちである“コンサルティング”業界。そんななかでアットストリームは生まれた――。同社の代表取締役就任にあたって大工舎宏がメンバーに向けて発信した「ビジョン・ステートメント」には、会社の出自がそう記されている。実際、同社は、「セールスよりプロダクション重視」の理念をメンバーが共有し、実行している。そのビジネスモデルは、「公認会計士資格を資格のままで終わらせない」という大工舎の若き日からの思いを具現化したものでもあった。
生まれは、大阪市の生野区というところです。隣接する西成区は漫画『じゃりン子チエ』の舞台ですから、活気のある下町ですね。今は少々寂れてしまったのですが、両親は商店街で化粧品店を営んでいました。真向いが銭湯で、夜遅くまで、けっこうお客さんが入っていたのを覚えています。
小学校時代の思い出といえば、5、6年生の時に、「武部塾」という個人塾に通ったこと。中学受験のための勉強が目的だったのですが、塾というより寺子屋の雰囲気で、座布団に正座して授業を受けるんですよ。挨拶とか勉強の態度とかにも厳しくて、普通の学習塾と違って情操教育的な部分がすごくしっかりしていた。何事かに集中してコツコツやるというのをあの時期に経験できたのは、今から考えても貴重なことでした。
その塾の卒業文集に、将来なりたい職業を書く欄があって、なんとそこに「会計士」って書いていたんですよ、僕。もちろん、どんな仕事なのか理解していたわけではありません。親は、「家業を継げ」とは一度も言いませんでしたが、「普通のサラリーマンではなく、何か手に職を」とか「資格も大事だ」とか、しょっちゅう口にしていましたから、それが刷り込まれていたのかもしれません。算数、算盤は得意だったので、「ならば会計士かな」と子供なりに考えたのでしょう。
塾通いの甲斐もあって、1981年、志望していた中高一貫の名門、私立大阪星光学院に合格。部活は野球を選び、そこからは「野球か勉強か」という生活が始まった。高校生になっても野球に打ち込んだ大工舎だったが、一方の学業のほうでは、高校2年の進路選択でいったん理系クラスに入るものの、結果的には“文転”するという紆余曲折を経ている。
どちらかといえば、数学や物理などの理系科目のほうが得意でした。ですから理系を選んだのは、ある意味自然な流れ。でも、高2の冬休みになって、具体的に大学のどの学部に進もうかと考えた時に、「待てよ」と思ったのです。理系で行きたいのは、医学部ぐらいしかイメージできなかった。サラリーマンにはならないように洗脳されていたけれど(笑)、さりとて工学部や理学部に行って研究職に就くというのも……。かなり真剣に悩んだ末に、将来のことを考えたら文系だ、という自分なりの結論を出しました。それで、休み明けに担任の先生にお願いして、3学期から文系クラスに所属替えです。
そうなったら、目標は同じ高校から多数が受験する京都大学の法学部。相変わらず資格のことも頭にあって、法学部なら経済の勉強もできるだろうし、とりあえず関西の最難関をターゲットにしよう、と思ったのです。
首尾よく現役合格することができ、法学部生になったので、1年生の時には司法試験を目指すサークルに入って勉強してみました。でも、イマイチ法律は性に合わない。それで見切りをつけ、2年の終わりぐらいに、やっぱり会計士を目指そうか、と。結局ここで「小6の夢」に戻ったわけです(笑)。
“本気モード”で試験勉強を始めたのは、3年の夏頃でした。ダブルスクールで会計士資格の予備校に通い、当時の第二次試験の7科目を2時間ずつ、1日14時間の勉強を自分に課しました。会計士資格を持つ人の多くはそうだと思いますけど、掛け値なしに人生で一番勉強したのはあの時期です。
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株式会社アットストリーム 代表取締役 アットストリームパートナーズ合同会社 理事長・代表パートナー大工舎 宏
◎その他の現職
大研医器株式会社 社外取締役
甲南大学経営学部 非常勤講師