会計業界の起業人
東日本税理士法人
代表社員長 隆
医療経営のエキスパートとして様々な側面から会計・税務サービスを提供する東日本税理士法人。その設立者である長氏の名刺には、代表社員や公認会計士・税理士といった記載はなく、「病院経営アドバイザー」とある。実際、長氏が主導した赤字公立病院の再生プロジェクトは、テレビの人気番組「ガイアの夜明け」で2回も取り上げられた。また最近では、民間有識者として厚生労働省の施策を中心に評価者(仕分け人)を務め、キレ味鋭い追及を披露。薬価基準の見直しに斬り込んで削減した6000億円は、二次救急の診療報酬に当てられ、救急医療環境の向上につながっている。
「思えば、1988年。日本経済新聞の連載”経済教室”に、医療機関にも企業としての意識をもたらし、効率的な医療経営を目指すべき、と寄稿したことがありました。それから4年後、医療法は改正された。私が提言したとおり、医療法人の会計処理は現金主義から発生主義に改められ、自らの経営状況を的確に把握できるようになったんです」
そんな長氏は、静岡県下田市に生まれた。高校を卒業すると大正製薬に入社し、経理業務に従事。だが、出世には学歴の壁が立ちはだかる。仕事を終えると、夜間大学に通った。そして、会社から税理士資格取得の職命を受け、26歳で税理士試験の合格を果たす。
「学歴で評価されるのが悔しくてね。それで次は、公認会計士を目指そうと、がむしゃらに勉強しました」
71年、30歳で二次試験に合格した長氏は、13年間勤めた大正製薬を退職。監査法人太田哲三事務所(現新日本監査法人)に入所した。
「当時は、まだ所員40人ほどの事務所でしたが、電力会社をはじめ大手企業の監査を一手に引き受けていましたね。税理士の資格を持っていた私は、希少な存在として重宝がられました」
だが、この監査法人をわずか4年で退所する。ある企業の監査業務をめぐって、上司と衝突したのだ。
「会社側が売上高の認識基準を勝手に変えたことに納得がいかなくて。埼玉県狭山市の自宅を事務所に独立すれば、何とかなるかな、と。でも、1年たっても、顧問先は母から紹介してもらったハンドバッグ屋さんだけ。パート勤めに出た妻には、ずいぶん助けられました(笑)」
だが、むしろこれが幸いする。あり余る時間を使って、新聞や雑誌をにぎわす業界の現状と課題を把握。公認会計士・税理士としての見地から自論の投稿を続ける中で、チャンスは再びやってきた。
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東日本税理士法人代表社員長 隆