熱き会計人の転機
NPO法人日本セルフメンテナンス協会
発起人/理事中村 友香
公認会計士を志したきっかけを教えてください。
中村自ら起業した会社を経営していた父をそばで見ていて、「経営者は大変だな、孤独だな」と思うことが多かったのです。私は理数系科目が得意だったこともあって、いつしか「会計士になって経営者を助けたい」と考えるようになりました。その頃は「自分が経営者になる」という発想は一切なく、どちらかというと自分が前に出るより他者をサポートするのが好きな性格だと自己分析していました。
大学卒業後はトーマツでベンチャー支援と監査業務に携わり、できるだけ多くの業種・業態の会社にかかわることを意識していました。どんなビジネスモデルで、どう利益を生み出しているのか。どんなプロセスでどんな商材を仕入れているのかなど、ビジネスそのものを学びたかった。いずれは自分で「社長を助ける」仕事を始めるため、監査法人にいるうちにできることは全部やるつもりでいたのです。
監査法人退所後は、十数社の中小企業支援を行ったとか?
中村一番近い距離で経営者を助けるなら、事業会社に参画するのがよいと考えました。最初に関与したのは、休養時専用リカバリーウェアメーカーのベネクスです。当時のベネクスはまだ赤字。損益分岐点がいくらで、黒字化には商品を何枚売る必要があると言っても、まったく響きません。会計士としての“正論”だけでは会社は変われないと痛感しました。従業員からは“総スカン”状態で、「数字を分析する暇があるなら売ってきてくれ」という感じでしたね。
確かに、私が数字をいじくり回しても売り上げは上がりません。数字をつくるプロセス自体に携わらないと自分の存在意義がない。そう思ってからは、マーケティングも営業も生産管理も広報もと、売り上げと利益をつくるほぼすべての業務を担当しました。その結果、会社は早期に黒字化し、今も成長を続けています。同時期、ベネクスのほかにも複数の中小企業支援にあたっていて、本当に目が回るくらい忙しかった。「経営者を助けたい」一心でしたね。
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NPO法人日本セルフメンテナンス協会発起人/理事中村 友香
NPO法人日本セルフメンテナンス協会
もともと公認会計士として非常に優秀な人。物事を理詰めで進めていく部分は、会計士のキャリアのなかで培ったものだろうと思います。一方で私が「会計士らしくないな」と思うのは、発想が柔軟であること。常識にとらわれず、物事をとらえることができる。組織を運営していくうえで必要な細かな調整や気配りなど、実践力も高い。私が得意とはいえない部分の多くをケアしてくれています。
私は、中村が発起人となった日本セルフメンテナンス協会に理事として参画しています。「身体が元気にならないと心は変わらない、心が変われば人生のパフォーマンスは最大化する」。その中村の理念に共鳴し、参画を決めました。理念を実践し、仲間を増やしていくのが私たちの活動。これから活動の輪を広げていくためにも、中村から多くを学ばせてもらおうと思っています。
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