The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
ピクスタ株式会社
取締役 コーポレート本部部長恩田 茂穂
「経済を学ぼう」と、大学院に。アナリストを目指して証券会社に入るも、興味があったネット系のベンチャー企業に転職する。実は恩田茂穂氏が公認会計士を目指したのは、そこからさらに1年後だった。監査法人を経て、2011年、デジタル素材のオンラインマーケットプレイス運営などを手がけるピクスタに入社する。あえて「自分は事業家ではない」と語るCFOが、自らに課した責務とは。
実家が自営業を営んでいたこともあり、「経営に興味があった」恩田氏は、明治大学経営学部、さらには横浜国立大学大学院の経済学研究科に進む。
「院に行ったのは、大学4年間、麻雀に打ち込んでしまいまして(笑)、ちょっと真面目に勉強する必要があると思ったからです。経済といっても、コーポレートファイナンスなど、比較的経営寄りのことをやっていましたね」
大学院修了後、就職先に選んだのは、証券会社である。
「会社分析などをやるアナリストになりたくて入ったのですが、1年目に配属されたのは、なんと営業でした。しかも赴任地は大阪で、相手はワンマン社長みたいな人ばかり。そこで、とにかく結果を求められるんですね。これは鍛えられましたよ」
「株を買いませんか?」とアプローチしては門前払いをくらう日々の中、恩田氏はある真理を得る。
「一定数の電話をすれば、必ず一定割合で話に乗ってくるお客さまがいることに気づいたわけです。この仕事は〝確率論〞で割り切るべきなんだと。真面目な話、麻雀をやっていたおかげで、それが見えた(笑)。そこからは、断られてもめげることなく、せっせと電話をかけまくりました」
ちなみに「あの経験は、その後の仕事に大いに生きている」と言う。
「特にベンチャー企業は、失敗を恐れていたら前に進めません。確率論が念頭にあると、常に『ダメなら次の手を打てばいい』くらいの気持ちで、ものごとにチャレンジできるんですよ」
さて、それなりの営業成績を上げ、2年目からは念願叶って調査系の部署に配属されるのだが、実は恩田氏には、別に興味をそそられる分野があった。
「大学の時から、インターネットに強い関心があったのです。ちょうど渋谷周辺のITベンチャー経営者が『ビットバレー構想』をぶち上げた頃で、そういう集まりにもちょくちょく顔を出していたんですね。そこで名刺交換した中に、ガイアックスの上田祐司社長がいた。〝ネットがないと始まらないビジネス〞に、強く惹かれました」
結局、「まだ若いし、やりたいことをやってみよう」と、1度目の転職を決意する。ガイアックス入社は、〝ネットバブル〞のさ中、00年のことである。
ところで、当時の同社には、現在恩田氏が取締役を務めるピクスタの社長である古俣大介氏が、偶然インターンとして在籍していた。「将来会社をつくりたい」と話す古俣氏に対して、恩田氏は「じゃあ、その時は雇ってください」と冗談で返していたそうだ。
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ピクスタ株式会社取締役 コーポレート本部部長恩田 茂穂