The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
tripla株式会社
取締役CFO岡 義人
旅館・ホテル向けの宿泊予約エンジンを手がけるtripla株式会社。新型コロナ禍により大きなダメージを受けた旅行業界だが、トーマツ出身の岡義人CFOは、この最悪とも思えるタイミングでこの業界に飛び込み、同社をIPOに導いた。
「〝先の見えない時代を生き抜くにはスキルが必要だ〟という、ある意味ありきたりな考えが資格取得のきっかけでした」と岡氏。公認会計士か弁護士で迷った末、法科大学院に時間をかけるよりも早く社会に出たい、法律より経済志向などの理由から会計士の道を選んだ。数ある監査法人からトーマツへの入所を決めたのは、「トーマツが一番厳しく鍛えてくれそうだったから」だ。
入所後、最初にアサインされたのは大手総合商社の〝花形〟監査チーム。優秀な先輩会計士、約40名が集まる大所帯だった。1社専属となったが規模が大きすぎて全体像が掴みづらかったという。複数の小規模クライアントを任されている同期と比較し、「差がついていくのではないか」と危惧した。
「『もっとクライアントをください』とアピールしたり、チーム外のパートナーにも面談を申し込んだりした結果、2年目以降はジョブが増えました。ただ、業務全体から見れば一部しか把握できない状況は変わらず、もどかしかったですね。3年目には自分から希望を出し、小さめの上場企業2社を担当させてもらうことに。すると、監査チームは5人程度と小さくなり、業務全体を俯瞰しやすくなりました。自分が成長している実感を持てるようになったのは、それからだと思います」
「準備ができ次第、監査法人を離れようと当初から考えていた」という岡氏。自分の仕事に納得感を得られるようになり、一とおりの勘定科目を実務的に回せるようになると、転職活動を開始。熟慮したうえで選んだのは、通信大手スプリントを買収したばかりのソフトバンクの経営企画だ。
「若いうちに広く経験するため財務会計からは離れたい、事業会社を経験してみたいという思いがありました。なかでも成長著しいソフトバンクなら多くの経験が積めるはず、自分自身も大きく成長できると期待しました」
ソフトバンクには4年間身を置いた。最初の1年間は、プロジェクトの財務担当として収支計画やPLなどの作成・事業の審査等が中心だった。「様々なプロジェクトの収支計画の相談が毎日大量に寄せられるんです。少人数のチームで回していたせいもあり、4年間トータルで1000本以上の収支計画をつくったと思います」
ソフトバンクグループの組織改編により、2年目以降は業務範囲が拡大し、予算策定や予算管理も担うことに。また当時は、「ソフトバンクビジョンファンド」が立ち上がり、国内外の成長企業への投資がスタート。岡氏は自動運転の子会社に出向し、資金調達や法務までを担当した。また同時期に、別の子会社の管理部長も兼務している。
「未知の業務が一気に押し寄せてきて、大変でした。専門書を買い込み週末はずっと読んでいましたが、結局は〝やりながら覚える〟のが一番。自動運転の子会社では、道路の交通整理をやったこともあります。最終的には4社6部署を兼務。当時の忙しさは監査法人以上でしたが、その分、スキルの幅を一気に広げることができました」
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tripla株式会社取締役CFO岡 義人