The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社エラン
取締役 業務本部長渡邉 淳
「会社が上場できるか否かには、上場準備の巧拙が大きく影響する」。監査法人でIPO支援に携わり、出向先の証券会社ではそれを審査する側も経験し、さらにコンサルタントの立場でもIPOに深く携わった渡邉淳氏だけに、説得力のある一言だ。しかし、本人は3年前にその非凡なキャリアを捨て、支援していた企業の一員となる。決断の裏には何があったのか。
「過去にこの連載に出ている立派な方々と違って、昔の私は非社交的で無気力な、ダメな人間だったんですよ」
自身の少年時代を振り返る渡邉氏の経歴はユニークだ。中学を卒業すると、高校進学を選ばず高専へ。理由の一つが「大学受験が面倒だから」。電子工学科で5年間学んだ後、1992年、エンジニアとして富士通に就職する。
「配属されたのは、携帯電話関連の開発を担当する部署。『これからは携帯通信だ』と配属希望を出し、希望した分野に配属されたわけです。ところが、実際仕事に取り組んでみると、ぜんぜん楽しくない。考えてみると、高専に行ったのも富士通に入ったのも、〝なんとなく〞。それで天職に巡り逢えるほど、世の中は甘くなかったですね」
だが、悶々としたまま入社3年がたった頃、ひょんなことから人生の転機と呼ぶべき瞬間が訪れる。
「当時付き合っていた今の妻と、結婚を考えたんですね。でも、ちょっと待てよと。仕事が充実してないのに家庭を持っても、幸せにはなれないのではないかという思いが、頭をよぎって」
迷った末の結論は、「会社を辞めて、新しい道に進む。そのために、何か資格を身につける」ことだった。
「キャリアチェンジが目的なので、簡単なものでは意味がない。〝資格事典〞のような本を手に取り、難関資格を比較検討した結果、目標を公認会計士に定めました。〝会社経営に物申せるなどやりがいのある職業〞といった説明に、大いに魅力を感じたからです」
そう決めると、すぐに彼女に「資格が取れるまで結婚は延期しよう」と宣言し、会社に辞表を出しに行ったというから、もう〝無気力人間〞の姿はどこにもない。「元高専卒エンジニア」という異色の経歴を持つ会計士は、こうして誕生したのである。
むろん、試験合格への道のりは楽ではなかった。
「高専卒ですので、簿記だけでなく試験科目すべてが、ド素人でした。『地獄の1年本科』という初学者を1年で合格させる過激なコースを選んで、専門学校で早朝から夜の10時くらいまで、休みなしで勉強しました」
そのかいあってその後、合格を果たしたのは、勉強開始から2年後の97年。その年、青山監査法人に入所する。
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株式会社エラン取締役 業務本部長渡邉 淳