熱き会計人の転機
Tokyo Sushi-Making Tour 代表
監査法人タカノ 統括代表 公認会計士森下 直也
公認会計士を志したきっかけを教えてください。
森下大学付属の高校で遊び呆けてしまい、このままじゃいかんと思ったのが高3の時です。ふと同級生をみたら簿記の勉強を始める人間が多かった。だったら自分もと、会計士を目指すことにしました。そんな感じで志高くというわけではないのですが、やってみると面白くて。
トーマツに入所されました。
森下ここでもあまり考えはなく、皆が監査法人に行くなら自分もそうしようと。サラリーマンの家庭で育ったせいもあり、当時は定年までトーマツにいるものと思い込んでいました。
監査業務は性に合っていたと思います。1年目は受験時に学んだ理論が実務にこう生きるんだと知る楽しさがありましたし、2年目は後輩の指導をしながら、監査とはこういうものだと理解を深めていきました。
転機は3年目です。一とおり監査業務の全体像をつかんだところで「自分は誰のために働いているんだろう」と悩むようになったんですね。もちろん監査は重要な仕事であり、社会インフラです。ただ自分が仕事を頑張るほど、顧客である経理担当者の仕事が増えて苦労する。自分の頑張りが誰かを喜ばせるとは思えなくなったのです。
自分の力で誰かの喜びを生み出す感覚を味わいたくて参加したのが、カンボジアでのボランティア活動。電気も水道もない村で日本語や英語を教えると、目の前にいる子供たちが喜んでくれた。とても嬉しかった。加えて、ほかのボランティア参加メンバーにも大きな影響を受けました。彼らのなかには、自分が好きなことを好きな人と、好きな時間を使ってお金を稼いでいる人たちがいました。こんな人たちがいるんだと、カルチャーショックを受けました。
監査法人の外の世界を本気で知りたくなったのはそれからです。当時は東日本大震災の直後。自分の力を社会のために使う“社会起業家”が注目を集めていました。時間や場所に縛られず働く“ノマドワーカー”もトレンドに。もし自分が彼らと同じことをしたらどうなるんだろう?という気持ちが、どんどん強くなっていきました。具体的に自分は何をしたいのかまではわからなかったのですが。
外国人向け寿司教室「Tokyo Sushi-Making Tour」を創業するまでの経緯は?
森下婚約を機に考えたんです。これから結婚して子供をつくるだろう。何か思い切ったことをするなら今しかないんじゃないか。その気持ち一つでトーマツを退所し、転職活動もせず自分探しの旅を始めました。
「死ぬまでにやりたいことリスト(Bucket List)」を作成し、その実行記録をブログで発信し始めたのも、自分探しの一環。リストには「英語を学ぶ」「寿司のつくり方を学ぶ」「起業する」などもありました。特に寿司づくりを初めて教わった日の感動は忘れられません。熟練の職人しか握れないと思っていたのに、数時間のレッスンでそれなりのものができた。そこでピンときて「外国人に英語で寿司を教える」というアイデアが生まれたんです。翌日にはそのためのサイトをつくり始めていました。創業したのは13年9月。ちょうど東京五輪の誘致が決まり、外国人観光客が増えるタイミングにも重なり、これは天命なのかと感じたものです。
寿司教室では、自分の頑張りがお客さまの喜びに変わる瞬間を味わうことができました。外国の方が「Amazing!」「Fantas-tic!」などとダイレクトに感情を表現してくれる姿を見ると、本当にやってよかったと思えた。新型コロナの感染拡大以降は休業を余儀なくされていますが、最盛期で年間約1000人を教えていました。再開が楽しみでなりません。
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Tokyo Sushi-Making Tour 代表監査法人タカノ 統括代表 公認会計士森下 直也
監査法人タカノ
私もトーマツの出身です。森下はトーマツ時代の先輩にあたります。彼が退職して以降もたびたび相談をする機会があったのですが、仕事と育児との両立に悩んでいると「タカノなら柔軟に、育児をしながら働ける」と声をかけてもらいました。そんなふうに、森下は昔から面倒見がいい印象です。どんな人とも真摯に向き合い、大切にする姿勢があるのだと思います。お客さまを前にしている時もそうです。相手をよく見て、課題を見つけて、それを乗り越えられるようお手伝いをする。きっと、森下に感謝している人がたくさんいると思います。
森下の寿司教室にも参加したことがあります。トーマツ時代の顔、タカノ代表としての顔、まったく違う顔を見ることができて、楽しい時間でした(笑)。でも、人と向き合うスタンスは仕事の時と変わらず、とても真摯でしたね。