- vol.75
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「変革の時代だからこそ、監査人としての気概、泥臭さみたいなものは、改めて重要だと思う」
公認会計士浜田康事務所
浜田 康
会計士の肖像
株式会社ACCESS
代表取締役社長 最高経営責任者室伏 伸哉
株式公開を展望するクライアントのために、持てるスキルと能力のすべてを注いで上場達成に導く――室伏伸哉が、自分に“ピタリ”ときた仕事はIPO支援である。経営数字を第三者的に捉える会計監査よりも、事業家の視点に立ち、経営や組織の仕組みをつくり上げていく、その感覚が性に合った。幾多のIPO支援で、経験と実績を手にしてきた室伏は、現在、独立系ソフトウエア企業「ACCESS」のCEO職にあり、熾烈な競争下にある業界で“事業家”として意欲を燃やしている。室伏は、会計プロフェッションとしての可能性の広がりを、自らに問うているのかもしれない。
故郷である静岡県の伊豆下田は、私が生まれ育った頃、すごく景気がよかったんですよ。世の中的に高度経済成長期だったし、下田まで鉄道が引けたことで、観光業を機軸にいろんな産業が栄えていました。父は税理士事務所をやっていて、旅館、洋服屋さん、靴屋さん……そういった商売を営む方々を顧問先にしていましたから、伴って景気がよく、わりと裕福な環境でした。小学生の頃から、ハワイとかグアムとか、海外旅行にも連れていってもらえましたから。父は地元の名士という感じでしたし、仕事柄、家には事業家の出入りが多かったんです。なので、いわゆるサラリーマンの家庭とは少し違って、私は商売の感覚を肌で感じていたのでしょう。今思えば、やはり影響は受けているんだと思います。
室伏家の祖父母がすごく教育熱心で、昔の貧しい時代にありながら、父を含めたきょうだい6人、皆大学まで行かせたらしいのです。かつて伊藤忠商事の会長を務めた室伏稔は、私のおじに当たるんですけど、こと祖母は厳しく、「偉くならなきゃダメだ」という人で。その流れを汲んで、両親も教育熱がすごく高かった。でもまぁ地方ですから、普通に子供らしい遊びをしながらでも、ちょっと頑張れば学校で1番、2番にはなれるんですけどね。
自分から勉強するのが好きになったのは、小学校6年の時。理科を教える先生が面白くて、例えば化学方程式とか、中学校で学ぶことを先取りして授業に取り入れたり、とても論理的な教え方をするんです。楽しかったし、小学校では珍しかったテストもあって、私、けっこういい点数が取れたんですよ。それが、きっかけになりました。勉強すると、そのまま結果に出るということ、そして「いい成績を取る」「人と競争する」ということが、私には面白くなってきたのです。
中学校に進学してから、室伏は「東京に出たい」と考えるようになる。自分の力を試してみたかったし、地元より、もっと面白いことがいっぱいあるように思えたからだ。「現状で満足していてはいけない」という親の厳しさもあったが、何より室伏自身、向上心がとても強かったのである。
「どうしても東京へ」と思っていたので、頑張ったんですよ。中3になる頃までには、自分で高校1年、2年の勉強までしていましたから。『NHK高校講座』とか見ながらね。それで慶應の付属だとか、何校か受験したのですが、残念ながら受からず……東京の壁は厚かった(笑)。結局、地元の県立下田北高校に入学したんです。伊豆半島ではトップの進学校ですけど、中学の時に“先取り勉強”したストックがあるでしょ。それでいけちゃうんで、あまり勉強しなくなりましたね。
東京に行けなかった落ち込みもあって、1年の時、下田ライオンズクラブの交換留学生として、アメリカに行かせてもらったんです。フロリダ州にあるタンパという都市で、2カ月間のホームステイ。すでに高校2年くらいまでの英語を勉強していましたから、どこまで通用するか、試してみたいという気持ちもあって。実際のところ、日常生活においては支障なしでした。それと、近くにディズニーワールドがあるので、ホームステイ先の子供たちと一緒に遊びに行ったりして、最高の夏休みでしたね。そして「何事もチャレンジすれば何とかなる」。そんな手応えを得ることもできました。
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株式会社ACCESS代表取締役社長 最高経営責任者室伏 伸哉
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