The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社シーマ
専務取締役宮崎 一成
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介していく本連載6回目にご登場願ったのは、シーマの宮崎一成氏である。監査法人から転職した経営コンサルティング会社では、莫大な負債を抱えた企業の社員を救うべく会社更生法の適用に奔走するなど、公認会計士として培った能力をフルに発揮。2008年、その“人間力”も買われて同社専務取締役に就任した宮崎氏の、“キャリア・ストーリー”を聞いた。
宮崎氏が公認会計士を志したのは「大学3、4年ぐらいの頃」だというから、“遅咲き”の部類だろう。
「同級生たちが就職活動を始めて、自分も何かしなければと考えた時に、高校時代の受験雑誌に載っていた公認会計士という職業を思い出したのです。とりあえずバイトで稼ぎながら、資格を取ろうかなと。ただ会計士が具体的にどんな仕事をするのかなんてまったく知らなかったし、周りに目指している人間もいなかったですね」
これだけ聞くと安易な印象も受けるが、心の底には秘めたる思いがあった。「大学生活そのものに、何となく“やり残し感”があったんですよ。若いうちにもう一度、何かにチャレンジしてみたかった」
大学卒業後、バイトしながら“会計士試験浪人”生活へ。時はバブル絶頂期。企業による学生の青田買いが横行する環境のなか、成功が保証されたわけではない試験勉強を続けることに不安がなかったと言えば嘘になる。だが、「ほかの道に進もうという気持ちは、まったくなかった」のだという。
「合格するまでは、『絶対にあきらめない』と自分を追い込みながら、必死になって受験勉強に励みました。1年ほど前、ある企業の経営者から、『大きな成功を手にしたいなら、日々の圧倒的な努力しかない』という言葉を聞いたんですよ。その時、受験勉強をしていた当時の記憶が蘇りました」
信念が実を結び、二次試験合格を果たしたのは、卒業から4年後の1990年。同年、太田昭和監査法人(現新日本有限責任監査法人)に入所する。
監査法人では、金融やメーカーなど様々な業種の企業を担当した。
「監査の立場だと、普通の会社員が目にしないような企業の内側を垣間見られる。それが刺激的で、面白かった」
10年ほど法定監査に携わった後、今度はIPO担当部署に配属される。
「過去に遡って調べるのが法定監査の仕事なら、IPOは将来を見据えたプロジェクト。対岸から眺めるのではなくて、クライアントと同じ岸にいて舟を漕ぎ出す方向を決めていくわけで、“立ち位置”も変わります。もともとコンサル的な仕事は好きだったし、この異動はウェルカムでした」
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