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「変革の時代だからこそ、監査人としての気概、泥臭さみたいなものは、改めて重要だと思う」
公認会計士浜田康事務所
浜田 康
会計士の肖像
税理士法人レガシィ
代表社員天野 隆
「遺産」「受け継いでいくもの」を意味するレガシィ。冠した言葉どおり、天野隆が率いるプロ集団は、相続税申告業務を柱に、相続にまつわる総合コンサルティングを専門とする。相続税申告ソフト利用件数は日本一(TKC全国会調べ)で、今年6月末現在、相続税申告等件数は累計で2857件。その技術と力量は、業界でも特異な存在感を放っている。
大学在学中に公認会計士試験に合格し、外資系の大手会計事務所に入所。その後、父親が開業していた税理士事務所を承継、加えて自らも起業し“今日”を仕立て上げた。と、天野のキャリアだけを記せば実に順境に映るが、決してそうではない。時には大きな壁や挫折を抱え、迷い、学びながら走ってきたのである。換言すれば、それは自己研鑽の積み重ね。天野と相対していると、その尊さが伝わってくる。
いわゆるリーダー的な存在ではなくて、むしろ目立たない子供だったんですよ。友だちや兄貴と野球したり、カンケリやったり、まぁ男の子らしい遊びを普通に楽しんでいました。母が教育熱心で、僕は越境入学で千代田区立番町小学校に通っていたんですけど、ここで一番印象に残っているのは、恩師・高岸宗之先生との出会いです。「勉強しろ」とは全然言わなかったけれど、例えば授業以外の時間に、ゲーム感覚で生徒たちに問題を解かせたり、余談で鮎釣りや中学校の話を聞かせてくれたり。それで結果的に、僕らのクラスを統一テストで日本一の成績にしたんですから、すごいですよ。後になって聞いた話ですが、戦後、荒廃していた日本を再建するには教育が要だと考えていたそうで、そこに立脚した情熱だったんですね。
こんなエピソードがあります。ある日、登校途中に高岸先生が前を歩いていました。四ツ谷駅から学校までの道すがら、所々にある街灯を消しているんです。当時、センサーなんてないから、前日の夜から灯が点いたままになっているわけです。僕は素直だから(笑)、それから毎朝、街灯のスイッチを消して歩くようになりました。誰も見ていないし、褒めてもらえるわけでもない。でも、目の前にある“善”を続けるということ、これは今につながる教えになっています。
成績のよかった天野が、次に進学したのは千代田区立麹町中学校。が、もともと持っていた喘息がひどくなったことで、入学早々から学校に行けなくなった。1学期の半分以上を欠席。勉強熱心な子供たちが集まる学校だけに、天野は大きく遅れを取ってしまう。この時に助けてくれたのは、家庭教師だった。そして、ここでも天野は、後に生きる教えを得たのである。
ストレスに起因する喘息だったと思うんです。受験校でしょ、なかなか馴染めなくて環境に適応できなかったというか。喘息といえばカッコつくけど、今でいう登校拒否みたいなものですよ。
勉強についていけなくなった僕をバックアップしてくれたのは、家庭教師です。教え方がうまくて。まず、自分がまったく解けない問題をしかと眺めながら、現状を認識する。で、その問題が解けるようになればOKなんだと、目標をはっきりさせる。現状と目標のギャップがわかれば、それを埋める効率的なプロセスが見えてくるわけです。そういう発想法を教わりました。目標イコール終着駅。僕は「終着駅からメソッド」と呼んでいるんですけど、これ、以降の公認会計士試験の勉強においても、様々なビジネスの面においても、ずっと僕が守り続けてきたメソッドです。終着駅を定めずしてがむしゃらにやっても、途中で挫折するに決まってますから。
その後も、中学3年の時、そして高校3年の時……どういうわけか最終学年の重要なタイミングで、情熱のある素晴らしい先生に恵まれているんです。僕は先生に響くタイプなのでしょう。本当に「おかげさま」、運がいいと思っています。教える人と教わる人。僕も、今は立場が逆なのでわかるのですが、重要なのは教える人の熱意と、教わる人の感度です。だから、学ぶ側の環境をどう整えるか――経営者としては、そこが重要課題だと考えています。
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税理士法人レガシィ代表社員天野 隆