The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社トライステージ
取締役 経営管理部長野口 卓
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介する本連載の12回目にご登場願ったのは、トライステージの野口卓氏。あくなき向上心を胸に転職を重ねる中、会計士資格取得を思い立ったのは、29歳の時。そして巡り合った“理想の職場”で腕を振るう、野口氏のキャリアストーリーを聞いた。
東京工業大学大学院修了。公認会計士としては異色の学歴だ。
「数学、物理が好きで、ロケットをつくりたい、というのが高校時代の夢でした。だから機械工学を選んだのですが、就職を考え始めると、普通にメーカーにいくのは面白くないな、と感じるようになって。研究室の先輩の影響もあり、“文系就職”に転向したのです。それも営業からたたき上げて社長になるとか、起業するとか、ただ技術者になるよりもっと大きなことがしたい、と真面目に考えていましたね」
1998年に大学院を修了し、就職先に選んだのは、英会話教室を全国展開していた駅前留学のNOVAだった。
「テレビ電話での授業など、当時はやりのマルチメディア分野に積極的に乗り出していました。そこに興味をひかれた。仕事は希望していた営業で、それなりにポジティブに働いていたのですが、業績は芳しくなかったですね」“異変”を実感するようになったのは、入社2年ほど経った頃のこと。直属の上司をはじめ周囲の人間が、櫛の歯が抜けるように辞めていったのだ。
危機感を覚えた野口氏も転職を決意。「新メディアに挑戦していて、引き続き営業ができる」という条件にかなった、IT企業のデジキューブに入社する。ところがまたしても……。
「ちょうど入社した2000年にナスダック・ジャパン(当時)に上場したのですが、それから程なくして、この会社は潰れるかも、と感じました」
結局、1社目は2年半、次も9カ月で去ることに。ちなみに予想は当たり、デジキューブは03年に倒産した。国立大学の大学院まで出て就職しながら、2社続けて本意とは言い難い辞め方。普通なら相当落ち込むところだろう。
「今考えれば、ついてないというより、自分の選択が甘かった。でも転職って、1回経験するとハードルが下がる(笑)。当時は、なんとかなるさ、という気持ちでいましたね。ただし移るのならキャリアアップが条件だ、ということだけは自分に課していました」
そうやって3社目に選んだのが、携帯電話の着メロサービスなどを行うビーエムビー・ドットコム(現サミーネットワークス)。ちょうど携帯電話へのコンテンツ配信ビジネスが全盛期を迎えようとする時代だった。
ところで、ここまで“会計士”の姿は影もかたちもない。転機が訪れるのは、この後である。
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株式会社トライステージ取締役 経営管理部長野口 卓