The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
アイビーシー株式会社
取締役 経営管理部長吉田 知史
ネットワークの性能監視ツール開発を行うアイビーシーのIPOを先導した吉田知史氏が、ひょんなことから公認会計士を志したのは、京大の大学院に進んですぐのことである。だが専攻していたのは量子化学。今でも「時間ができたらゆっくり理系の本が読みたい」と語るその思考回路が、多くの会計士とは一味違う“仕事”を演出してきたのは確かだろう。時に思わぬ足かせとなったこともあるのだが……。
1968年、吉田氏が生を受けたのは「キューポラのある街」として名を馳せた埼玉県川口市である。生家もまさに工場を経営しており、「作業場や事務所が遊び場」の子供時代を過ごす。
中高一貫の名門、武蔵中学・高校を卒業後、京都大学工学部工業化学科に入学したのは「なんとなく家業を継ぐのかな、という気持ちがあった」から。「実家は私が20代の頃に工場をたたんだのですが、高校時代は『とりあえず材料系に行こうか』くらいの感じで。自分でいうのもなんですけど、中高と陸上に明け暮れた反動もあって、大学では勉強しましたね。おかげで学科は2番の成績で卒業し、すんなり大学院に進みました」
ところがそんな吉田氏の心に、徐々に将来に対する疑問符が広がっていく。「大学4年になって、コンビナートなど工場見学に行くわけですよ。そこで直感したのです。自分が研究したことは、ここでしか使えないかもしれない……この装置産業が廃れたらアウトじゃないのか、と。もっと汎用性のある“要”のようなものを自分の中に持つ必要があると思えてきた」
そんなある日、大学の生協で手に取った冊子に、吉田氏は“要”らしきものを発見する。
「会計士の合格体験集に、高校の陸上部の先輩が載っていたんですね。それを読んで、会計士の資格があればどこでも使えるのではないか、とこれも直感したわけです。会計士になりたいというより、経営チックなことがやりたかった。なぜ経営だったのか、ですか?後から考えてみると、父や祖父などの“経営者”としての姿が、どこかで刷り込まれていたのかもしれません。漠然とした感覚としかいいようのないものでしたけど」
かくして資格取得に挑むべく、大学院を1年で休学し、専門学校に通い始める。ところが待っていたのは、まったく予期せぬ事態だった。
「大学での成績もよかったし、過信もあったと思うのですが……覚えるべきことがぜんぜん頭に入ってこないのです(笑)。例えば『株式会社の特徴は間接有限責任と株式の自由譲渡性の2つですから覚えてください』と言われても、『何で?』になってしまう。私は数学の三角関数でも、加法定理からスタートして全部積み上げていかないと気持ち悪くて仕方ない、という人間なんですよ。冗談ではなく、丸暗記とかは頭が拒否してしまって」
結局「何の職歴もないまま30歳を迎えるのはヤバい」とコンサルタント会社に勤務した1年を挟んで、第二次試験合格までには5年あまりを要した。「最後の1年は、半ば開き直って専門学校にも行かず、模試も受けずに独学でした。受かった時は嬉しいというより、心底ホッとしましたね(笑)」
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アイビーシー株式会社取締役 経営管理部長吉田 知史