The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社デジタルハーツ
専務取締役 管理本部管掌中野 剛
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介していく本連載2回目に登場願ったのは、デジタルハーツの中野剛氏。経営者を支援する仕事で身を立てることを望み、株式上場を本気で目指す同社創業者・宮澤栄一氏と運命的な出会いの機会を得る。入社2年半で東証マザーズ、その3年後には東証一部上場に導いた。そんな中野氏の、キャリア・ストーリーを聞いた。
中野氏のキャリア・ストーリーの始まりは、高校時代にさかのぼる。政治経済を教える先生の影響で、経済に興味を持ったことが始まりだ。そして、経済の世界で最も難易度の高い資格は何かを調べ、公認会計士の存在を知る。「それ以来、会計士になろうと思い始めた」と言うが、もう一つ別の理由もあった。「親にわけもなく反発したくなる年頃で、国家公務員の父は税金で食べさせてもらっているが、俺は自力で稼いでみせる、と力んでいたんです」。
そして、上智大学経済学部経営学科に進学。周囲に、将来は経営コンサルタントになりたいという学生が多いこともあって、中野氏もその肩書きに憧れるようになる。しかし、彼は浮ついてはいなかった。
「それなりの資格と自分で商売をした経験がなければ本物のコンサルタントにはなれないのではないか、と。当時、学習塾の講師のアルバイトをしていて、これなら自分もできそうだと大学2年の時に個人事業として起業しました」
高校受験を主として開業した塾は、生徒1人からスタート。ところが、低価格とキメ細かい指導が評判を呼び、みるみる生徒は増加。8年後に従業員にタダ同然で譲渡した頃には、生徒数が130人を超えるまでになっていた。
「年間5日ぐらいしか休まなかったと思います。また、大学入学から会計士の勉強も始め、専門学校にも通ったので3人分の忙しさ。学んだ経営学を実地で生かす、いい経験ができました」
そんな中野氏がせっかく軌道に乗せた事業を譲渡したのはどういうわけか。
「周りからは、さんざん『やめるなんてバカだ』と(笑)。けれど、あくまでもやりたいのは経営コンサルで、塾経営はそのための訓練の場という信念があったのです。それに、生徒を130人も集めたことで、地域でトップになったという達成感がありましたから」
働きづめの日々から解放され、公認会計士資格取得の勉強に専念し始める。
「好きな勉強が思う存分できるわけだから、最高に幸せな日々でした。しかし、二次試験合格までには4回のチャレンジを要しました(笑)」
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株式会社デジタルハーツ専務取締役 管理本部管掌中野 剛
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