The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社ジェネレーションパス
取締役鈴木 智也
「鶏口となるも牛後となるなかれ」。自営業の家庭に育ち、幼少の頃から頭と体にその生き方を刷り込まれた鈴木智也氏が、志を同じくする友人2人と起業を果たしたのは、2006年のことだった。12年には今の会社(ジェネレーションパス)と“合体”、1年半という超スピード上場を実現した後も、成長を続ける同社にとってなくてはならない存在だ。そんな鈴木氏の経営手腕に、公認会計士の資格、監査法人時代の経験はどう寄与しているのだろう。
1978年、鈴木氏は、東京・町田市で「こぢんまりとしたスーパー」を営む家の次男として生まれた。
「小学校に入った頃には、玉ねぎを1キロ計って袋に詰めたり、お客さんに渡したり。学生時代、起業を考えるようになった源泉に、そういう子供時代からの環境があったのかな、という気はしますね。親も、『“鶏口牛後”だ』って、しょっちゅう言ってたし。ちなみに、僕は友人2人と会社を起こしたのですけど、その両方とも商売人の家庭で育ったんですよ」
起業を具体的に考え始めたのは、大学卒業を控え、いよいよ就職先をどうするか、真剣に悩まなければならない時期になってからだが、「サラリーマンになる自分を想像してみても、いまひとつピンとこない。ある意味自然に、自分で何かやろう、という気になっていた」のだという。
ただし、「何をやるか」は、まったくの白紙。素人がすぐに起業できるほど甘くないことも、十分理解していた。そこで「とりあえず、経営に役立つ資格を取ろう」と思い立つ。
「頭に浮かんだのが、弁護士と会計士でした。友人に、会計士になった人間が何人かいたんですよ。話を聞いてみると、『数字だけでなく、法律にも絡む』『企業を丸ごと見ているんだ』というわけです。だったら、目指すべきは会計士だな、とそちらに決めました」
01年に大学を卒業後、“自分を追い込んだ”猛勉強の結果、03年に当時の公認会計士二次試験に合格、監査法人トーマツ(当時)に入る。ただ、入所の経緯は、かなりユニークだった。
「“会計士不況”といわれた頃で、合格したら、その日のうちに面接に行かないと就職は厳しい。そんなこと知らなかったんですよ、僕(笑)。仕方なく、翌朝、集めていた監査法人のパンフレットのうち、一番上にあったトーマツに駆け込みました。でも、面接では、『3年後には辞めなければなりません』と正直に話したんです。友人2人とは『2006年に起業する』という契りを交わしていましたから。面接官は驚くやら、呆れるやら」
ところが、結果的には20倍近かった競争を勝ち抜いてしまう。
「どこを見込まれたんでしょうねえ。後から『うち以外には、絶対入れなかった』と言われましたけど(笑)。ほんと、今でも感謝しているんです」
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株式会社ジェネレーションパス取締役鈴木 智也