The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社シンプレクス・ホールディングス
執行役員CFO澤田 正憲
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介していく本連載3回目に登場願ったのは、シンプレクス・ホールディングスの澤田正憲氏である。大学在学中、公認会計士試験に一発合格し、監査法人に入所。2000年、「日本経済新聞」の求人広告を見て転職した同社を、予定どおり2年でJASDAQ市場に、その3年後には、東証一部上場に導いた。そして、今、CFOとして、さらなる事業成長への挑戦に意欲を見せる。そんな澤田氏の、キャリア・ストーリーを聞いた。
「付属校で受験はないようなものだったから、高校時代ほとんど勉強しなかった」澤田氏が、公認会計士試験への挑戦を決めたのは、エスカレーター式の大学進学に際してだった。
「将来のことを考えると、さすがにこのままではまずい。数学は得意で、仕事をするならコンピュータ関係か会計士と漠然と考えていましたが、経済学部に進んで会計士試験を目指す決断をしたのです。実は父親が監査法人に勤務する会計士だったんですよ。そうでなければ、公認会計士という職業があることも知らなかったでしょうね」
大学1年の冬休みから専門学校に通い、本格的に勉強を始める。そしてすぐに「この試験は、一発で合格しないと際限なく時間がかかる」と判断した澤田氏は、やはり学業は放り出し、試験勉強に専念する。
「朝7時から専門学校に通っているという話を友人にしたら、『お前、本気なんだな』と、驚かれました。高校時代の僕を知ってるから(笑)」
そんな努力の甲斐あって、計画どおり3年生の時に合格を果たす。首尾よく合格通知を手にしてみると、卒業まで1年余りの時間が。
「ふと思い立ち、ヨーロッパ放浪の旅に出ました。ユーレイルパスで列車を乗り継ぐバックパッカー。我ながら、英語もまともにしゃべれないのに、よく行ったものだと思います。パンが欲しくて“bread”と言ったら、なぜかお皿が出てくる。“plate”ですね(笑)。ただ、何ごとも為せば成るという経験は、大きな収穫でした」
大学を「ギリギリで卒業した」澤田氏は、1994年、太田昭和監査法人(現新日本)に入所し、大手メーカーの監査などを担当する。入所3年ほど経った頃、今に至る道筋を決定づける経験をすることに。
「当時の上司がIPOの案件を多く抱えていて、お前も手伝えと。やってみると、会社の規模は小さいし、何もかも“不十分”。でも、大手企業の監査をするのとは違って、クライアントとの関係はものすごく濃密になる。手伝った会社が上場を果たした時、それはうれしかったですよ」
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