The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
株式会社一休取締役
管理本部大橋 広樹
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介する本連載の13人目は、一休の大橋広樹氏。中・高で同学年だった森正文社長に乞われ、上場準備の任を帯びて転職。現在は“経営者目線”で事業拡大の指揮を執る大橋氏のキャリアストーリーを聞いた。
東京生まれの大橋氏は、中・高一貫の私立男子校出身。同じ学年に一休の創業者、森正文社長が在籍していたことが今のキャリアにつながるのだが、そんな未来を知る由もない青年は、2浪の末に東京大学理科二類に合格する。
「キャンパスの雰囲気とかもあって、とにかく東大に行きたかった。逆に言えば学部はどこでもよかったのです。専門課程は医学部保健学科という、自分でも何をやるのかよくわからないところへ(笑)。で、見事留年し、就活も遅れて、気づいたらどこも採ってくれる会社がない。思案に暮れているうちに、ふと別のこともやってみたくなり、経済学部に学士入学したんです」
会計士資格の取得を思い立ったのは、経済学部に入って1年経った頃のこと。
「たまたま会計士のことを書いた本を読んで、こんな仕事もあるのかと。会計監査に具体的なイメージがあったわけではないですが、何となくいろんな経験ができそうだと感じました。資格取得に時間がかかるといわれていましたが、自分は経済学、商法、会社法などはすでにやっているのだから、あとは会計まわりを勉強すればいけるんじゃないかという読みもありましたね」
すぐに勉強を始め、1990年秋、「冷やかしも含めて4度目の挑戦」で会計士二次試験に合格を果たすのだが、実はすでにその前年、中央新光監査法人に入所していた。
「監査法人が受験生を修習生として受け入れる制度があって、監査の補助的な仕事をやっていました。試験になかなか受からず、ぽっと出の有資格者よりも監査ができる修習生、なんていうのも、周りにはいましたよ(笑)」
世はまさにバブル経済絶頂期。「受験生は“金の卵”で、試験合格のお祝いに、監査法人がニューヨーク旅行に連れていってくれた」ような時代だった。
仕事も水が合った。
「何百社も行きましたが、例えば工場の内部とか、普通は入れないようなところに行けるのが、単純に楽しかった。在庫の棚卸につき合ったり、深夜まで現場を回ったり、辛い面もあったけど、非常に新鮮な体験でした」
ただベテランになるにつれ、「ルーティーン化された仕事は面白くない」と感じることも多くなったという。
「会計監査を英語でAudit。これは『聞く』っていう意味。僕らが入所した頃の監査は、オーソドックスに会社の人からいろいろ聞くという仕事の比重が、今より高かったように思うんです。それがだんだんマニュアル化され、1社の監査でクリアすべき項目が何百、何千になってきた。それらを一つひとつ潰していくという作業には、あまり魅力は感じませんでしたね。個人的感想を言わせてもらえば、今また『聞く』重要性が見直され、変わり始めているように思うのですが……」
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