The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
アクセルマーク株式会社
執行役員 経理財務本部長野口 仁
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介する本連載の18人目にご登場願うのは、アクセルマークの野口仁氏だ。過去に、フリーのシステムエンジニア、監査法人、銀行での企業再生の取り組みと、様々な現場を経験。現職にある今なお、「チャレンジし続けたい」と語る野口氏のキャリアストーリーを聞いた。
幼い頃に両親が離婚し、母親の手一つで育てられた野口氏は、高校時代から学費を稼ぎ出すために、新聞配達や飲食店でのバイトに明け暮れる。学校はというと、授業そっちのけで受験参考書と格闘する毎日を送っていた。
「昼は授業、夜は別に受験勉強っていうのは、合理的じゃない。そう思って、全部“自習”にしたんです」
博打にも思える勉強法だったが、結果は正直だった。内申点は低空飛行ながら、「高3の全国模試で数学が2位」に輝くほど、受験向けの学力はアップしたのだ。1998年、埼玉大学経済学部経営学科に入学。経営学科を選んだのは、「漠然と将来は起業したいという思いがあった」からだ。
「でも、結局大学では遊んじゃいましたね。入学式の日に、たまたまルーマニアとかメキシコからの外国人留学生と仲良くなって、彼らの仲間の欧米人なんかともつるんで、夜な夜なクラブ通い。気がついたら、卒業も危ない状態でした」
だが、人間、何が幸いするかわからない。“遊び”の資金を確保するために勤しんだバイトが、やがて生業となる。
「時代はITバブルの真っ只中でした。これからはITだ、と猛勉強して、当時最年少で第一種情報処理技術者の資格を取ったんですよ。そこまでやったのは、そのスキルを持って起業しようという考えもあったから。ところがプログラマとしてバイトを始めたら、月に20万〜60万円稼げるわけです。そうなると、とたんにハングリーさも薄れまして(笑)。起業は横に置いて、卒業後はフリーでSEとしてシステム開発を請け負うことにしたのです」
ちなみに、何も知らなかったITの勉強も独学。しかも、本屋に通い詰め、開店から閉店まで関連の書物を片端から立ち読みしてマスターしたというから、驚くしかない。
ただ、その職に見切りをつけるのも早かった。「システム開発はいつか中国やインドの人海戦術に負ける、と悟った」からだ。
そのタイミングで選んだのが、会計士資格の取得という道だった。
「大学でたまたま監査論のゼミを取っていたので、公認会計士がどういう存在なのかは知っていました。ごく軽い気持ちからでした」
まだいくらでも発注があったシステム開発の仕事をすっぱり辞め、会計士を目指す。半年で短答合格、その年は論文式試験を突破できず悔し涙を流し、翌年短答論文ともに合格した。
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アクセルマーク株式会社執行役員 経理財務本部長野口 仁
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