The CFO –ニッポンの最高財務責任者たち-
GMOインターネット株式会社
専務取締役安田 昌史
ニッポンの最高財務責任者=CFOの人物像を紹介する本連載の14人目は、GMOインターネットの安田昌史氏だ。「経営に近い仕事がしたい」と、3年半勤めた監査法人から同社に転職。経営危機も乗り越え、持ち前のポジティブ思考で会社を支える安田氏のキャリアストーリーを聞いた。
安田氏は東京の下町・日暮里の生まれ。実家は老舗の酒屋である。「親族にも会社員家庭がほとんどない環境で育った」せいもあるのだろう、漠然と「将来は独立したい」と考えていた青年は、早大法学部在学中に公認会計士になろうと決意する。なぜ法律家ではなかったのか?
「法学部だけに司法試験は身近だから、それなりのハードルも自覚できる。自分で身を立てるという成功可能性を考えたら、こっちかなと(笑)。たまたま親戚にも会計士がいて、頑張ればなれるんじゃないかというぐらいの気持ちでしたね」
大学3年から勉強を始め、卒業後1年半ほどの浪人の末、1996年に二次試験に合格。入所したKPMGセンチュリー監査法人(現あずさ監査法人)で「なぜか外資系企業、なぜか金融機関の監査や、M&Aのデューデリジェンス(DD)」に従事する。
「外資系の会計事務所は、比較的若いうちから責任を持った任務に就けるので、仕事を早く覚えるという点ではとてもいい環境でした」
ただ一方で、次第にもの足りなさを感じるようになっていったという。
「ちょうど金融ビッグバンが起こった時期でした。でも“ビッグバン”は勇ましいけれど、実際の仕事は邦銀の不良債権の査定やDD。正直、仕事は静的で、あまり前向きなものじゃなかった。独立したいと考えて会計士になったのに、これでいいのかなと」
悶々とした日々を送り、独立も頭をよぎるなか、監査法人の同期で一足先にGMOインターネットの前身であるインターキューに転職していた友人に、「もっとダイナミックで経営に近い仕事がしたい」という思いを打ち明けたことが、大きな転機となる。入所3年半余りが経った2000年3月。世の中はネットバブル、そしてIPOブームに沸いていた。
「だったら、うちの熊谷(正寿社長)に会ってみないか。インターネットの世界はすごいよ」
そう言われても「何のことだか半信半疑」の安田氏を、当時37歳、自らの会社を前年に店頭公開させたばかりのトップは、初対面から驚愕させる。
「10分ほど遅れて来たと思ったら、いきなり『一緒にインターネット革命に参加しよう!』と握手です。どこが気に入られたのか今もって謎なんですが(笑)、当然やるよね、という感じ」
折しも同社では、インターネット広告事業を行うグループ会社のまぐクリック(当時)を1年で上場させるプロジェクトが進行中だった。「そんなことが本当にできるのかわからないけれど、面白そうだ」と直感した安田氏は、翌日から時給1000円でまぐクリックのアルバイトを開始。1カ月後には監査法人を辞め、正式にインターキューの一員となった。ちなみに、まぐクリックは当時史上最短の364日で、めでたく上場を果たしている。
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