会計士の肖像
PwC税理士法人
代表宮川 和也
宮川が興味を持っていたのはIPO支援のような会計系コンサルティングで、当初は、ある大手会計事務所のIPO部門に入る準備を進めていたそうだ。しかし、先輩から強烈な誘いをかけられ、根が体育会系の宮川は監査法人中央会計事務所(当時)に入所。予定は違ったが、人生わからないもので「先輩には逆らえない」と入所したここで、宮川は国際税務コンサルティングという新領域に踏み出すことになる。
監査業務に就いたのは2年くらいでしょうか。クライアントとしては小売業が多く、地方にもよく出張していました。それはそれで現場の楽しさがあったのですが、仕事自体はあまり自分に向いていないように感じていました。監査の基本は企業が作成する財務情報を検証し、それが適正か否かを確認する作業です。でも私はサービス精神が旺盛なものだから、もっとクライアント側に入り込んだ仕事をしたいという思いが強かった……。若造だったこともありますが、監査を一生のキャリアにすべきかどうか悩んでいたんです。
そんな頃に転機が訪れました。今も私の大恩人である鈴木洋之さん(PwC税理士法人の前任代表でPwCジャパンの前代表)がニューヨーク駐在から帰国され、新しいサービス事業を立ち上げることに。それが、当時の日本ではほぼ未開拓領域だった法人向け国際税務コンサルティングサービスです。
新部隊ですから、まずはスタッフ探しからということで、そんななか、白羽の矢が立ったのが私。監査法人の先輩が推してくれたのですが、私が監査を続けることに迷いがあるのを見抜いていたんでしょうね。新しいキャリアに飢えていた私には、まさに"渡りに船"。何より「国際税務コンサルティング」という最先端な響きが魅力的だったし、何かカッコいいことができそうだと新しい世界に胸が躍りました。
中央クーパース・アンド・ライブランド国際税務事務所(当時)に出向したのは1987年。PwC税理士法人のいわば母体だ。今でこそ日本最大級を誇る規模だが、当時は30名ほどの事務所だった。フロンティアゆえに"定型"などなく、宮川は日々OJTを重ねながら仕事を開拓していった。
環境はガラリと変わりました。職場には海外メンバーファームから派遣された外国人もいたので、超ドメスティックだった私には新鮮そのもの。語学での苦労も含めて、文化や価値観の違いなど、カルチャーショックも受けました。仕事は、クライアントに何か国際税務に関する困り事や不明点があった時に、問い合わせを受けて対応するという、今にすればイロハの「イ」くらい単純なもの。でも、国際税務についての書籍や情報が全然ない時代でしたから、重宝され、仕事量もけっこうありました。
私はたまたま国際税務コンサルティングと出合いましたが、つくづくよかったと思いましたね。まず、タイミング的に"開拓している"手応えを得られたこと。また、他のコンサルティングの場合だと他社事例や経験則など、時に曖昧な指標が入ってきますが、法律の下で行う税務コンサルティングは、"税法"という確固たるバックボーンがあるので、根拠が明確でクライアントに納得していただきやすい。そして、貢献できればクライアントから「助かった」「ありがとう」と言っていただける。私が本当にやりたかったことが、ここで像を結んだというわけです。
ただ、苦労したのは英語。もともと得意ではなかったですし、ちゃんと勉強してこなかったから。海外と英語でやりとりをする、英文レポートを作成する、そういう機会が増えるにつれ困るようになった私は、事務所からの命を受け、英語学校に通ったりもしたんですよ。
PwC税理士法人代表宮川 和也