会計士の肖像
株式会社ちふれ化粧品
代表取締役社長片岡 方和
そうした片岡の働きぶりに、異動に猛反対していた上司たちも、「どうやら会社を辞める気はないようだ」と対応を軟化させる。二次試験合格から3年後の79年、ようやく主計部配属の辞令が出た。しかし、認められたのは希望していた経理課ではなく、海外税務課での勤務だった。営業企画時代、〝数回〞だった海外出張は、〝しょっちゅう〞になっていた。
海外で事業を行い、収益を上げれば、その国で法人税の申告を行わなければなりません。例えばそういう実務を、現地の会計士とやり取りしながらこなしていくわけですね。中東のほか東南アジア、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ……まあ、ほとんど世界中行きましたよ。
印象に残る仕事の一つが、サウジアラビアで、米、仏のエンジニアリング会社、そして千代田化工の3社ジョイントベンチャーによる大きなプロジェクトを受注した時の交渉です。3社でやるわけだから、あらかじめそれぞれの取り分から始まって、いろいろな条件を決めておかなければなりません。私は、ステアリングコミッティ(運営委員会)の下のサブコミッティで、細部を詰める役割を仰せつかりました。
問題は、私が英語をほとんど話せなかったこと(笑)。読み書きはなんとかできるのですが、相手が何と言っているのかもおぼつかないような状態だったんですよ。でも、不思議なことに必死になって集中すると、フッと言葉が出てくるんですね。その時も、思い切り集中を高めて、筆談も交えながら2社の担当と丁々発止のやり取りをしました。そんなつたない英語力だったけれど、「いや、これは絶対に譲れない」と話をすると、相手は納得してくれましたよ。
この海外税務を6年間やった後、念願だった国内経理の業務に従事することができました。これをやらないと、会計士の三次試験も受けられないわけですから、ようやくここに来られたという感じです。とはいえ、当時、三次試験の合格率は25%程度でしたから、また必死に勉強して。その甲斐あって、85年、38歳の時に一発合格することができました。中学入試に失敗した後、受験は連戦連勝です(笑)。
希望を叶えた片岡だったが、87年から2年間、休職を申し出る。実家が高知で営んでいたホテルが、経営難に陥ったためだ。そして1年でその事業を清算すると、今度はなんとプライスウォーターハウスで、コンサルタント業務を始める。
会社に話したら、「何をやっているんだ」と言われました(笑)。でも、「休職中なのだから、勉強していてもいいでしょう」と押しとおした。実はそこでの仕事はけっこう面白かったので、そのままいてもいいかなという気持ちになりかかっていたんですね。しかし、会社は、やはり「戻ってこい」と。そこで、「子会社をつくらせてもらえるなら帰ります」と提案したんですよ。また元の経理では、進歩がないじゃないですか。
そういう経緯で89年4月に発足したのが、アロー・ビジネス・コンサルティングです。当初は「外で稼げ」ということで、税理士業務と講演の講師をメインにやりました。自著『海外プロジェクト税務の実務』という本を書いたのも、この頃。本が出たら、講演依頼がどんどん来るんじゃないかという目算は、当たりませんでしたけど(笑)。わがままを言ったかたちになりましたが、会社は2年目からずっと黒字です。
結局、そこの社長を16年間務めました。その間に、千代田化工の経理、その子会社の経理、海外を含めた連結決算と、徐々に本体の仕事が増えていった。結果的に、本体の経理機能を全部担うことになったのです。
社長業は面白かったですよ。自由にいろんなことにチャレンジできるし、講師としてあちこち飛び回れるし。なによりも事業が着実に拡大して、業績が伸びていくのは楽しかった。
ところが、90年代も終わろうかという頃、思わぬアクシデントに見舞われることになりました。千代田化工が大幅な債務超過に陥り、すわ倒産かという事態を招いたのです。私は、本体の財務本部の副本部長をやってくれといわれて、アローの社長と兼務することになりました。
もう時効だから言いますけど、実際に万が一の民事再生法申請に備えて、役員室の窓のない部屋で、部下を引き連れて書類づくりをしたり、弁護士事務所の裏から入って法的な協議を行ったり。結局、債務免除になって会社が現状のまま存続できるということになってからは、今度は関連会社を売却して再スタートの準備をするとか、まあいろいろやりました。
そうやって会社は助かったのですが、債務免除になっていますから、金融機関だとかからたくさん人が入ってくるわけです。そうすると、どうしても居心地が悪いというか……。生来、嫌なことをやり続けるのをよしとしない性分なんですね。2005年、アローの社長を後進に譲り、税理士法人をつくって独立することにしたのです。
ここで、ちょっと時計の針を戻させてください。先ほど国際税務時代のジョイントベンチャーのエピソードをお話ししましたが、そのサブコミッティを担当せよと私に命じたのは、当時の島田道雄常務でした。ちふれ化粧品の創業者の長男で、後に当社の二代目社長になる人物です。島田さんは、私のことをとてもかわいがってくださった。私が当社と関係を持つようになったのは、彼から「ちふれをちょっと手伝ってほしい」と言われたのがきっかけだったんですよ。
株式会社ちふれ化粧品代表取締役社長片岡 方和